高知県の離島・沖の島上陸!うどの浜を目指して歩く 産業と人口もご紹介|2013 旅行記3

島旅

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今回は「2013年 四万十川&高知の島を巡る旅」旅行記その3をお届けします。

★前回の記事は こちら

高知県の離島に上陸!

真夏の四万十川をサイクリングで旅した翌日、2013年8月13日は高知県宿毛市の沖合に浮かぶ・沖の島へ渡ります。

高知県の有人島は沖の島とその隣に浮かぶ鵜来島の2島しかないこともあり、高知県に離島があること自体あまり知られていません。

宿毛市・片島港から出ている市営定期船・すくもで島へ渡る予定でしたが、お盆の帰省ラッシュで混雑しており、なんと船に乗ることが出来ず

ということで、急遽チャーターされた漁船に乗船。幸い海は穏やかで、船はほとんど揺れませんでした。

沖の島へ到着する前に、船はもうひとつの有人島・鵜来島へ寄港。

そして、出港から約1時間半で沖の島・母島(もしま)港に到着しました。今回は夕方の船まで日帰りの滞在です。

■ 参考:すくも観光ナビ「沖の島」

沖の島の産業と人口

沖の島には母島ともうひとつ「弘瀬」という集落があります。

周囲約20kmの小さな島ですが、江戸時代には母島が宇和島藩(愛媛県)に、弘瀬が土佐藩(高知県)に属し、島全体が高知県となるのは、明治時代の廃藩置県から数年経ってからのこと。それ故、同じ島内でも、2つの集落の文化や風習などは異なるそうです。

母島港の周辺には山の急斜面に沿って家々が並んでいます。太平洋戦争末期には、軍事要塞化が進み、全島民に強制疎開命令も出ましたが、Wikipediaによると、1950年代には千数百人が島で暮らしていたそうです。

港の近くあったこちらは防空壕でしょうか。

急な斜面に住居や耕地を確保するため、石垣や石段が多い沖の島。石垣・石段とともにある暮らしは、島の宝100景(国土交通省)にも選ばれています

高度経済成長期を経て人口減少・過疎化が進み、2020年の国勢調査によると母島集落の人口が50人、弘瀬集落の人口が69人。つまり、島全体の人口は119人です

こちらは2020年における沖の島の人口ピラミッド。島民の7割以上が60歳以上である一方で、小学生・中学生もおり、母島集落に沖の島小中学校があります。

2020年 国勢調査より

島で働いてる人自体少ないですが、宿泊業・飲食サービス業と教育・学習支援業に従事している人が人口の約4割。公共工事関係者や釣り客が島に宿泊するため、宿は数軒あります。

一方で飲食店はありません。またこの時は「商店ぐらいあるだろう」と思い、昼食も持参していませんでした。確かに商店はありましたが、缶詰やレトルト食品が多く、その場で食べることが出来るものはお菓子ぐらいだった気がします。

日本一の海水浴場・うどの浜を目指して歩く

島を1周する道路がなく、アップダウンも多いので、自販機も無いような島を真夏にあちこち歩いて巡るのは現実的ではありません。

今回私が沖の島を訪れた目的のメインは海です。港から30分ほど歩いた場所にある「うどの浜海水浴場」を目指します。

うどの浜海水浴場のことを知っている人はほとんどいないと思いますが、実はダイヤモンド社が発表した「水がきれいなのに人が少ない海水浴場ランキング 2020」において、日本一に選ばれている海水浴場です。

歩き始めて早速綺麗な海が見えてきました。当時はまだ沖縄などの南の島へ行ったことがなかったので、これだけ綺麗な海を見るのも初めてでした。

途中には看板もありますが、コンクリートで整備された道は途中で無くなり、この手作り感満載の石階段を登ります。

木々に囲まれた遊歩道を歩き…

また石の階段。本当にこの先にうどの浜があるのでしょうか。

木々の間から「沖の島ブルー」が見えると期待が高まります。

山道を抜けると「うどの浜」に到着しました。

透明度は非常に高いです。ひと休みしてから、持参していたシュノーケルセットを装着し海へ。海中では熱帯魚の姿を見ることも出来ました。

港からの渡し船もあるようです。

海の家にはかき氷やビール、レンタル品などもありました。ここでお手伝いをしていたのは5歳と7歳の兄妹。ちびっ子2人がビールを渡したり、グラスを洗ったり…海の美しさはもちろんですが、沖の島で私が一番印象に残っているのはこの兄妹です。

沖の島に上陸するまで、修学旅行で訪れた広島の宮島以外の離島に足を運んだことはありませんでした。たまたま地図で見つけて上陸した、観光地化されていないこの島で、私は有人島の面白さを知ってしまったのです。

島の面白さを知った旅

午前中をうどの浜で過ごし、午後には集落へ戻ってきました。

宿毛へ戻る船の時間は15時過ぎなので、まだ時間はありますが、あまり遠くへ行くことは出来ません。

港の近くに綺麗な海があったので、ここで時間を過ごすことに。

そして帰りの船がやって来ました。さらば沖の島。写真は残っていませんが、集落に戻ってきてから、ダメ元で民宿に「昼食だけいただくことは可能か」と聞いてみたところ、500円でカレーを出していただきました。これもありがたい経験です。

もうひとつ集落・弘瀬の港に寄港。島に帰省していた人たちへの見送りでしょうか。島を離れる船から紙テープが投げられる、感動的な(エモい)シーンを見ることも出来ました。

続いては鵜来島に寄港。ここで私と友人しかいなかったデッキに、鵜来島から乗船してきたおじさんがやって来ました。話をしてみると、その方は宿毛生まれで、なんと私たちが通っていた埼玉の高校の近くで会社を経営している社長さんでした。

翌日に撮影した写真

話は盛り上がり、船を降りた後は何軒か食事もご馳走していただきました。そこで聞いたのが「人口減少」や「高齢化」で、島が無人島になるのは時間の問題という話。島の面白さを知ったまさにその日に、こうした話を聞けたのも何かの縁でしょう。

翌日に撮影した写真

この時に「もっと島や田舎の面白さが知られたらいいのに」と思ったことが、私の今に繋がっています。沖の島から帰ってきた日は宿毛のビジネスホテルに泊まり、翌日は1日かけて高知駅へ移動。その翌日は青春18きっぷを利用し、高知から東京まで1日かけて帰りました。

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今回はここまで。本日もありがとうございました。

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