沖縄戦で米軍が上陸した地と米軍基地周辺の景色|戦跡巡り旅行記その2

南国日記~沖縄移住の記録~

ブログをご覧いただきありがとうございます。

今回は「沖縄戦の戦跡を巡る旅」その2をお届けします。

★前回の記事★

米軍上陸地点へ移動する

那覇市・雨乞嶽の次は、米軍が沖縄本島に上陸した地点へ向かいます。

首里城の近くにあるローソンは朱色に赤瓦。

沖縄の原風景に「赤瓦の古民家」がありますが、首里城をはじめ、現在沖縄本島中南部にある古民家のほとんどは、戦後に建てられたものです。

置き引きに注意。大きいイビキにも注意。

ここの道端には、こうした「韻を踏んだ看板」がずらっと並んでいました(笑)

国道58号線を北上していると、沿線に少しずつアメリカンな光景が増えてきます。

こちらの車屋さんは値段がドル表記です。

奥にある観覧車は「アメリカンビレッジ」。

1981年に返還された、元々は米軍の飛行場の再開発によって建設されたエリア。観光客や沖縄県民にも人気のスポットです。

にコンビニの駐車場には米軍の車両が止まっています。

アメリ感★アメリ館。このお店はパイが美味しいらしいです。

右奥にある「EXCHANGE」の看板は両替所。

こうした光景は東京の福生など、日本のほかの米軍基地周辺でも見られますが、じっくり巡るのもまた面白そうです。

砂辺ビーチにある「上陸地モニュメント」

北谷町の砂辺ビーチに到着しました。

美しい海沿いにマンションが建てられています。

沖縄が好きで移住したい方にとって、まさに憧れのロケーションではないでしょうか。

そんな砂辺ビーチの一角に「第二次世界大戦米軍上陸地モニュメント」が置かれています。

慶良間諸島を上陸から3日で占領した米軍は、1945年4月1日、沖縄本島の中部・読谷村の渡具知ビーチから上陸しました。

そのため、上陸地モニュメントがここ北谷町に置かれている理由は分かりません。

奥に見えている方面に渡具知ビーチがあります。

米軍が沖縄本島に上陸してから、1945年6月23日に日本軍の組織的な抵抗が終わるまでの約3カ月、住民を巻き込んだ日米の激しい戦いが行われます。

今回の旅で渡具知ビーチではなく、砂辺ビーチの上陸地モニュメントにやって来たのには理由があります。

モニュメントに添えられている文章を見ると「日本で唯一の悲惨な地上戦」と書かれています。

確かに、沖縄で地上戦が行われたのは事実ですが、小笠原諸島・硫黄島や北海道・千島列島でも地上戦は行われています。

そのため「日本で唯一」というのは誤りです。

米軍基地周辺を走る

砂辺ビーチの次は「道の駅かでな」へと向かいます。

その途中では米軍基地の周辺を通過します。

この柵の向こうはアメリカの法律が適用される一方で、柵の中には畑や人々が拝みをする「御嶽」もあります。こうした場所は、暗黙の了解として、一部住民の方の入場が認められています。

国道58号線の両側に米軍基地があります。

沖縄本島に上陸した米軍は本島を南北に分断。本島中北部をおよそ3週間で占領してしまいます。日本軍は拠点を首里城に置いていたこともあり、中南部に兵力を集中させていたためです。

米軍のヘリコプターが飛んできました。沖縄周辺では日々訓練が行われています。

★参考:渡名喜島での訓練の様子★

日本人が入れる米軍基地施設

こちらは国道58号線沿いにあるSEASIDE(シーサイド)というレストラン。

米軍基地内でありながら、一般の人でも入ることが出来る貴重なスポットです。

立ち寄ってみたのですが、コロナの影響かお店は閉まっていました。

ここでは日本円は使えず、ドルかカードでの支払いのみです。

お店の外にはインスタ映えしそうな席が並んでいます。

また機会があれば入ってみたいお店です。

★参考:SEASIDEで夕食を食べる★

こちらは米軍の飛行機です。周辺にはなかなかの轟音が響き渡ります。

この飛行機やヘリコプターは嘉手納飛行場から飛び立っています。

次に向かう「道の駅かでな」からは、その嘉手納飛行場を見ることが出来るのです。

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今回はここまで。本日もありがとうございました。

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