日米の激戦地・嘉数高地と前田高地へ。県外出身者の慰霊碑がある|戦跡巡り旅行記その4

南国日記~沖縄移住の記録~

ブログをご覧いただきありがとうございます。

今回は「沖縄戦の戦跡を巡る旅」その4をお届けします。

★前回の記事★

激戦地・嘉数高台公園へ

「道の駅かでな」の次にやってきたのは嘉数高台公園です。

ここは沖縄戦で米軍と日本軍が初めて本格的な戦闘を繰り広げた場所です。米軍が本島に上陸してから5日後のことでした。

嘉数高台での戦いは15日間続き、日米ともに多くの犠牲者を出しました。

ちなみに、九州等からの特攻隊による攻撃は、米軍が沖縄本島に上陸したその日から行われていました。

こちらは戦時中の弾痕の跡が残された壁

もともと他の場所にあったものが、こちらで保存・展示されています。

階段を登ると地球の形をした展望台があります。

嘉数高台公園には、戦跡よりも、この展望台からの景色を求めて多くの観光客や修学旅行生が訪れます。

展望台から普天間飛行場が見える

展望台からは普天間飛行場がよく見えます。

写真を見ても分かるように、飛行場の周辺には家々が密集しています。

例えば福岡空港も博多の市街地に近いですが、福岡空港が民間の飛行場であるのに対し、普天間は米軍基地。危険度が異なります。

そのため、住宅街から離れた、名護市「辺野古」へ基地を移設しようというのが、色々と議論を呼んでいる問題です。

オスプレイがずらりと並んでいます。

普天間飛行場は嘉数高台での戦いを終え、米軍が地域一帯を支配した後に建設されました。

日米の攻防の跡

嘉数高台公園では、展望台以外にも見るところがあります。

沖縄戦では、沖縄県民だけでなく、多くの県外出身者も亡くなりました。

沖縄本島には47都道府県の慰霊碑があり、ほとんどが平和祈念公園の周辺にありますが、京都の慰霊碑はここ嘉数にあります。

嘉数高台の戦いでは多くの京都出身者が犠牲になったそうです。

こちらはトーチカといわれる、日本軍の攻撃拠点。トーチカはロシア語で鉄筋コンクリートの防御陣地のことをいいます。

戦時中はここに隠れながら、丘を登って来る米軍に攻撃をしていたと考えられます。

丘の中腹には壕の跡もあります。

空を見上げると夏の雲が。雨が降らなければいいのですが…

嘉数高台公園の前には「沖縄そばランキング第1位」のお店があります。

食べてみたかったですが、今回は時間がないので断念。

米軍は「アイスバーグ作戦(=沖縄戦)」を終結させるため、日本軍の拠点が置かれていた首里城を目指します。

前田高地での戦い

嘉数高地を突破した米軍は前田高地へ向かいます。

前田高地一帯は現在、浦添城跡公園として整備されています。

グスクの城壁は沖縄戦でほとんど破壊されたため、戦後の発掘調査の後、復元されたものです。

現存する戦跡や慰霊碑の周辺は、草刈りなどが行われていない場所も多いです。

沖縄の草むらややぶに入るときは、ハブに注意しなければなりません。

嘉数高台から前田高地までは約3km。前田高地からは普天間飛行場も見えます。

ありったけの地獄をひとつにまとめた」と言われるほど、前田高地での戦いは激しいものになり、4月下旬から5月上旬にかけて、日本軍約3000人と近隣住民約4000人が犠牲になりました。

浦添城跡公園の駐車場からグスクを通り、森を抜けた先に慰霊碑がありました。

前田高地平和之碑」この文字を書いたのは北海道の知事です。

前田高地で戦ったのは北海道と山形県の出身者が多かったそうです。あまり知られていませんが、沖縄戦での犠牲者の数は、沖縄県出身者の次に北海道出身者が多いです。

前田高地は米軍から「ハクソーリッジ」と呼ばれました。

米軍の立場からみたこの地での戦いは映画にもなり、2017年にはアカデミー賞にもノミネートされました

ハクソーリッジを突破した米軍は、いよいよ首里城を目前にして、沖縄戦で最大とも言われる激戦を強いられます。

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今回はここまで。本日もありがとうございました。

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