日米が最初に攻防を繰り広げた地「嘉数高台」。展望台から見える普天間飛行場|戦後75年 沖縄戦の戦跡を巡る旅 旅行記その5

南国日記~沖縄移住の記録~

ブログをご覧いただきありがとうございます。

今回は
沖縄戦の戦跡を巡る旅」その5
をお届けします。

★前回の記事★

激戦地・嘉数高台公園へ

道の駅かでなから国道58号線を南下します。

太平洋戦争において、
米軍が硫黄島や沖縄に攻撃した主な目的は
本土攻撃をするための「飛行場の確保」です。

沖縄本島に上陸した米軍は約54万人。

その目的を本島上陸初日に果たした米軍は
本島を南北に分断後、日本軍の拠点である
首里城を目指して南下を始めます。

続いてやってきたのは嘉数高台公園

ここは米軍と日本軍が沖縄において
初めて本格的な戦闘を繰り広げた場所です。

米軍が本島に上陸から5日後のことでした。

こちらは戦時中の弾痕の跡が残された壁

他の場所にあったものが
こちらで保存・展示されています。

展望台から見える普天間飛行場

階段を登ると地球の形をした展望台があります。

嘉数高台公園には、戦跡というよりも、
この展望台からの景色を求めて
多くの観光客や修学旅行生が訪れます。

展望台から見えるのは普天間飛行場

写真を見ても分かるように、
飛行場の周辺には家々が密集しています。

例えば、福岡空港も博多の市街地に近いですが
福岡空港が民間の飛行場であるのに対して
普天間は米軍基地という点で危険度が異なります。

そのため、住宅街から離れた
辺野古」へ基地を移設しようというのが
色々と議論を呼んでいる問題です。

オスプレイがずらり。

15日間にわたる日米の攻防

嘉数高台公園では
展望台以外にも見るところがあります。

こちらは「京都の塔」。

沖縄戦では、沖縄県民だけでなく、
多くの県外出身者も亡くなりました。

沖縄本島には47都道府県の慰霊碑があり、
ほとんどが平和祈念公園の周辺にありますが、
京都の慰霊碑はここ嘉数にあります。

嘉数高台の戦いでは
多くの京都出身者が犠牲になったそうです。

こちらはトーチカといわれる日本軍の攻撃拠点。

トーチカというのはロシア語で
鉄筋コンクリートの防御陣地のことをいいます。

戦時中はここに隠れながら、丘を登って来る
米軍に攻撃をしていたと考えられます。

丘の中腹には壕の跡もあります。

嘉数高台での戦いは15日間続き、
日米ともに多くの犠牲者を出しました。

普天間飛行場は嘉数高台での戦いを終え、
米軍が地域一帯を支配した後に建設されました。

米軍上陸後の足跡を辿る

空を見上げると夏の雲が。

雨が降らなければいいのですが…

米軍の本島上陸後、嘉数高台まで日米の戦闘は
なかったと言いましたが、
九州等からの特攻隊による攻撃は米軍が
沖縄本島に上陸したその日から行われていました。

嘉数高台公園の前には
沖縄そばランキング第1位
のお店があります。

食べてみたかったですが、
今回は時間がないので断念。

平和祈念公園を目指して
私も米軍が南進する足跡を辿ります。

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ということで今回はここまで。
本日もありがとうございました。
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