首里城を目指す米軍、前田高地とシュガーローフでの激戦へ|戦後75年 沖縄戦の戦跡を巡る旅 旅行記その6

南国日記~沖縄移住の記録~

ブログをご覧いただきありがとうございます。

今回は
沖縄戦の戦跡を巡る旅」その6
をお届けします。

★前回の記事★

戦いの舞台は前田高地へ

1945年4月1日、米軍は沖縄本島に上陸しました。

米軍は上陸初日に飛行場を確保し、
沖縄本島を南北に分断。
本島中北部をおよそ3週間で占領しました。

米軍は「アイスバーグ作戦(=沖縄戦)」を
終結させるため、
日本軍の拠点が置かれていた首里城を目指します。

上陸後はじめて日米の激戦が行われた嘉数高台

およそ15日間かけて、
この地を突破した米軍は前田高地へと向かいます。

前田高地一帯は現在
浦添城跡公園として整備されています。

グスクの城壁は沖縄戦でほとんど破壊されたため、
戦後の発掘調査の後、復元されたものです。

沖縄の草むらややぶに入るときは
ハブに注意しなければなりません。

現存する戦跡や慰霊碑の周辺は
草刈りなどが行われていない場所も多いです。

「前田高地平和之碑」を書いたのは北海道知事

嘉数高台から前田高地までは約3km。

前田高地からは普天間飛行場も見えます。

「ありったけの地獄を一つにまとめた」
と言われるほど
激しい戦いとなった前田高地での戦い。

4月下旬から5月上旬にかけて
日本軍約3000人と
近隣住民約4000人が犠牲になりました。

浦添城跡公園の駐車場からグスクを通り、
森を抜けた先に慰霊碑がありました。

前田高地平和之碑

この文字を書いたのは北海道の知事です。

前田高地で戦ったのは
北海道と山形県の出身者が多かったそうです。

あまり知られていませんが、
沖縄戦での犠牲者の数は沖縄県出身者の次に
北海道出身者が多いです。

前田高地は米軍から
ハクソーリッジ」と呼ばれました。

米軍の立場からみたこの地での戦いは
映画にもなり、2017年には
アカデミー賞にもノミネートされました。

シュガーローフでの激戦へ

ハクソーリッジを突破した米軍は
いよいよ首里城を目前にして
沖縄戦で最大とも言われる激戦を強いられます。

その地の名前は「シュガーローフ

5月12日から18日にかけて
「進撃が遅い」と批判されていた米軍と
首里城をかけた日本軍がここでぶつかりました。

現在のシュガーローフには
配水池が設置されています。

那覇市の「新都心」とも言われるエリア。
周辺は再開発によってマンションなどが立ち
ここが激戦地であることは全く感じられません。

きっとここに住んでいる人も
そんな歴史は知らないことでしょう。

日米両軍は各所で攻防を繰り広げながら
戦いの舞台はいよいよ
日本軍の司令部が置かれている首里城へ。

これが1945年5月末のこと。
沖縄戦が終わったとされる6月23日まで
まだ1カ月あまりあります。

米軍が迫る首里城の司令部では
この時「ある決断」がなされたのでした。

この続きはまた次回。

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