なぜ島尻郡?伊是名島上陸!第二尚氏 尚円王生誕の地で琉球王国の歴史を知る|2018 沖縄旅行記

南国日記~沖縄移住の記録~

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今回は「2018年 伊是名島旅行記」をお届けします。

伊是名島上陸

沖縄県最北部に位置する伊是名島。飛行機はなく、島へ渡る手段は運天港(今帰仁村)から出ている1日2便の船しかありません。

運天港まではやんばる急行バスを利用しました。朝6時45分に「県庁北口(那覇市)」を出るバスに乗ると、10時半出港の『フェリーいぜな』に乗船することが出来ます。

ちなみにこちらは、伊平屋島からやってきた『フェリーいへや』。運天港からは伊平屋島へ行く船も出ているので、「島間違い」がないように注意が必要です。

■ 参考:2019年 伊平屋島旅行記

運天港を出港すると間もなく、進行方向右手に古宇利大橋が見えてきます。橋の全長は約2km、沖縄県内では2番目に長い橋です。

■ 参考:古宇利島旅行記

船はそれほど揺れず、出港してからおよそ1時間で伊是名島に到着。「ようこそ ハブのいない伊是名島へ」と書かれていますが、県のホームページを確認すると、伊是名島にも「ヒメハブ」という、通常よりも毒の弱いハブは生息しているそうです。

港に置かれていた日めくりカレンダーの日付は12月31日(2018年)。2019年を伊是名島で迎えます。通常、お盆や年末年始は観光の繁忙期ですが、田舎では親戚の集まり等が優先される場合が多く、営業していない場所が多いです。

伊是名島にて

事前に伊是名島(と伊平屋島)のホームページに載っている全ての宿に電話をしましたが、予約を取ることは出来ませんでした。今回は偶然「知り合いが伊是名島で宿をやっている」という方の計らいで、島に泊まることが出来るようになったのです。

ゆえに、船に乗っていても、島を歩いていても、観光客と思われる人とすれ違うことはありません。

滞在中に訪れた伊是名ビーチにも人は誰もいませんでした。沖縄もこの時期は寒いので、海に入る気にはなりません。

■参考:沖縄も意外と寒い件について

農業の島をドライブ

宿の方に車を貸していただいたので、ここからは島をドライブします。

伊是名島は1周約14km。島全体が伊是名村に属しており、2020年の国勢調査によると、5つの集落におよそ1300人が暮らしています。

お仕事は農業に従事している人が多いです。伊是名島では600年以上も前から稲作が行われており、現在は「尚円の里」という名のひとめぼれが栽培されています。

伊是名島の田んぼ

JAによると、かつては米が2期作で農業生産の7割を占めていましたが、いまはサトウキビと逆転し、サトウキビが農業生産高の8割を占めているそうです。

集落にある商店にやって来ました。営業はお昼と夕方だけ。年末ということで、陳列されている食料品も少なめでした。

この道の両側にあるのは琉球石灰岩で作られた石垣。こうした石垣は昔から沖縄にあるものですが、岩の隙間にハブが隠れるとして、最近はブロック塀に置き換えられる場合が多いです。伊是名島にはハブがいないので、未だ残されているのでしょう。

車を走らせていたら、半野生化した子ブタに出会いました。こちらを警戒する様子は全くありません。これまで旅先で様々な野生動物に出会いましたが、ブタは初めてです。

続いてはチヂン岳の頂上にやって来ました(標高約120m)。島で2番目に高い山ですが、頂上までは散策路が整備されており、手軽に昇ることが出来ます。

山頂には島の方が拝みをする「拝所」も置かれていました。

そして、見えている三角形の山が「伊是名城跡」。島の南東に位置し、三方を海に囲まれていることから「難攻不落の城」と言われています。

その麓には、国の重要文化財にも指定された「伊是名玉御殿」があります。こちらは第二尚氏王統の祖・金丸(尚円王)の両親のお墓です。これらの価値を知るためにはまず、琉球王国の王統について知る必要があります

琉球王国の歴史を知る

沖縄がかつて「琉球王国」という、ひとつの王国だったことは広く知られています。

琉球王国が成立するよりも前の時代、沖縄本島には北山・中山・南山という3つの勢力に分裂していました。北山と南山を倒し、沖縄統一を果たし、琉球王国を成立させたのが中山の王・尚巴志です。

■ 参考:琉球王国成立までの歴史をもっと詳しく

伊是名城跡は尚巴志の祖父「佐銘川大主」によって築かれたグスクです。佐銘川大主の子供「思紹(尚巴志の父)」から、名前の姓に「尚」が付けられるようになりました。

その後尚家は 忠・思達・金福・泰久の順に世代が変わり、7代目・徳が国王となりましたが29歳で急死。そのタイミングで、伊是名島出身・金丸によるクーデターが起こり、琉球王国成立から約63年続いた尚氏一族による王朝は滅亡しました。

■ 参考:琉球王国成立後の動乱の様子

第二尚氏「尚円王」生誕の地

金丸は「尚」という姓を引き継ぎ、「尚円王」として琉球国王に即位。クーデターの前後で王家の血筋が変わったことから、現代では琉球王国成立から金丸のクーデターまでの王統を「第一尚氏」、クーデター以降の王統を「第二尚氏」とするのが一般的です。

第一尚氏の時代が7代・63年間であったのに対して、第二尚氏の時代は、廃藩置県までの19代・410年間続いたことから、金丸(尚円王)は、琉球王国の一時代を築いた人物と言えるでしょう。金丸の両親のお墓は伊是名城跡の麓にあります。そして、首里城の近くにある世界遺産「玉陵」が金丸のお墓です。

なぜ島尻郡?

琉球王国時代、伊平屋島と伊是名島はひとつの行政区「ゑへや(伊平屋諸島)」として扱われていました。

国立公文書館デジタルアーカイブスより

1896年に施行された「沖繩県ノ郡編制ニ関スル件」において、沖縄本島北部や伊江島は『国頭郡』となった一方で、伊平屋諸島は沖縄本島南部の町村とともに『島尻郡』へ属することなりました。

伊平屋島と伊是名島が島尻郡である理由として、ネットを調べると「琉球王府直轄領だったから(王府の聖域が多く存在する本島南部の島尻郡に属す)」という説が出てきます。ただ、こうした理由は伊平屋村や伊是名村の公式資料からは出ていません。

伊是名島の集落

沖縄県最北の島「(硫黄)鳥島」や、最東の島「大東島」も島尻郡なので、単純に『沖縄本島周辺の離島』が島尻郡に入ったと考えるのが自然です。本島周辺離島の中でも「伊江島」は国頭郡ですが、伊江島から沖縄本島までの距離は約9kmと、他の島々よりも本島に近く、関係もより密接であることが伺えます。

伊是名島にて

ちなみに、数百年にわたり伊平屋諸島の番所(=役所)は伊是名島に置かれ続けていましたが、「村役場が伊是名にあると不便」という声が伊平屋島から上がり、伊平屋村と伊是名村に分かれたのは1939年のことです。なお、現在は両島を行き来する定期船はありません。

■参考:2016年 伊是名村要覧

沖縄戦と伊是名島

こちらは伊是名島にある沖縄戦の慰霊塔。伊平屋島には、1945年6月3日に米軍が上陸していますが、戦時中の伊是名島の様子については、情報がほとんどありません。

■ 参考:沖縄戦の流れについて

こちらは1977年に国指定重要文化財に指定された銘苅家住宅。銘苅家は尚円王の叔父(父の弟)にあたる家系で、琉球王朝時代には代々島の地頭職を務めていたそうです。銘苅家が文化財となった背景には「保存状態がよかった(=沖縄戦の被害を免れている)」ということもあり、伊是名島では空襲や地上戦の被害をそれほど受けずに済んだと考えられます。

島で見る初日の出

2019年1月1日の朝を迎えました。テレビを付けると、日本全国の初日の出の様子が中継で映されていましたが、本州よりも西に位置する沖縄はまだ暗いです。

太陽が見えそうな場所へやって来ました。空には雲が点在していますが、青空も見えています。この日の沖縄(那覇)の日の出は7時17分。果たして初日の出を見ることは出来るでしょうか。

■ 参考:初日の出を徹底解説

水平線の向こうに見えている島影は沖縄本島。その向こうから太陽が昇ってくるはずですが、時刻はもう7時半。まだ新年最初の太陽は顔を出してくれません。

じわじわと空が明るくなってきましたが、結局、綺麗な太陽の姿を見ることは出来ませんでした。どうやら年末年始の沖縄はいつも雲が多いらしく、初日の出を見ることは難しいようです。伊是名島を9時に出港する船に乗るため、急いで宿へ戻ります。

港にて

港までは宿の方に送っていただきました。沖縄にはお正月が2回あると言われています。ひとつが1月1日の元旦ですが、もう1つは「旧正月」という、旧暦に基づいた日付での元旦。現代でも旧正月の方が盛大に行われる家庭や地域もあります。

港の売店は、元旦でもオープンしていました。伊是名島の特産品がほぼ揃っているので、お土産を手に入れるにはここが間違いないでしょう。

元旦の朝ということで、船に乗っている人は数名です。島にいる間はずっと曇っていましたが、ここにきて青空が見えてきました。1泊2日、滞在時間は24時間もありませんでしたが、ぐるっと島を回ることが出来てよかったです。

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今回はここまで。本日もありがとうございました。

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