ネオルネサンス様式の門司港駅を見学!ホームでフォトジェニックな写真を撮る|2021 旅行記8

御船印の旅

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今回は「御船印をゲットする旅(名門大洋フェリー編)」その8をお届けします。

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ルネサンス様式の門司港駅を見学

門司港レトロを歩いて、門司港駅に到着しました。

1914年に「門司駅」として開業。国の重要文化財にも指定され、2019年に開業当時の姿に復元されました。

重要文化財の駅ということで、ホームには観光地によくあるような、記念撮影用のパネルもあります。

ネオルネサンス様式が基調になっているそうです。駅の掃除をされている方も、なんだか画になります。

みどりの窓口の作りも、他とは全く異なります。

こちらも何かの窓口のようですが、飾りとして設置されているのか、実際に使用されているのかは不明です。

こちらが駅構内の様子。写真右が駅の入口で左がホームとなっています。そして注目すべきは写真右奥の部屋。

部屋の前には「旧三等待合室」という看板が置かれていますが、そこにはなんと…

スターバックスが入っていました。かつては鉄道も船と同じように、一等・二等・三等のように階級が分かれており、かつてこちらは三等を利用する人の待合室だったそうです。

関門連絡船時代の名残

正午になると、駅前で噴水が上がりました。この写真は駅構内から撮ったものですが、日本とは思えないような景色です。

改札を通過してもなお、洋風建築の外観を楽しむことが出来ます。

関門連絡船通路跡なるものがありました。関門連絡船は1901年に山陽鉄道が開設し、1964年まで九州と本州の間を結んでいました。今回の旅で乗船した関門汽船も関門海峡を渡り、九州と本州を結んでいますが、鉄道と連絡はしていません。

ホームには「旧監視孔」もあります。戦時中はここで連絡船通路を監視し、不審者をチェックしていたそうです。

太平洋戦争が始まると、日本周辺の海では機雷による海上封鎖作戦が行われます。関門海峡を往来する船もアメリカに狙われたため、日本は関門トンネルの開通を急ぎ、1944年7月に世界初の海底鉄道トンネルが開通したのでした。

1958年には車のトンネルも開通し、物資輸送は船から鉄道や車が中心となりました。

★参考:1944年7月 サイパン島が陥落★

フォトジェニックな駅のホームで写真を撮る

こちらは門司港駅のホームにある「旅立ちの鐘」「幸福の泉」。駅が出来た当時、旅立ちの鐘は出発の合図として、その後は旅立ちの安全を願うものとして活用されています。幸福の泉は、旅立つ人の夢や希望が流れ込むようにと設置されたそうです。

駅とは思えない雰囲気の駅舎ですが、確かに駅として機能しており、JR九州の起点を表す「ゼロマイル標」も設置されています。門司港駅は鹿児島中央駅まで続く、鹿児島本線の起点でもあります。

門司港駅といえば、この光景が有名です。ベンチも自動販売機もないホームとレトロな駅名標を撮ると、フォトジェニックな写真になります。私の他にも写真を撮っている人がいました。

柱や屋根の内側は木製で、屋根を支える梁には、線路のレール材が使われているそうです。

ホームに止まっているのは近代的な電ですが、他の駅でお馴染みの自動音声は使用されず、駅のアナウンスはすべて肉声で行われているそうです。意識していなかったので、この時は全く気が付きませんでした。

小倉駅からバスで福岡空港へ

この日の早朝に船で新門司港に到着し、小倉から電車で本州へ渡り、さらに巌流島へ渡り、関門海峡を渡って小倉に戻ってきました。時刻はまだお昼過ぎ。半日だけですが、盛りだくさんな観光が出来ました。

小倉駅から福岡空港までは高速バスを利用します。電車の場合は博多経由で、JRと地下鉄を利用することとなりますが、バスだと空港まで1本で便利です。

鉄道より料金も300円ほど安かったものの、2023年3月でこの区間の路線は廃止されてしまいました。

終着の福岡空港国際線ターミナルに到着。

国際線ターミナルから国内線ターミナルまでは、こちらの無料バスを利用します。

国内線ターミナルに到着。10月の夕方にも関わらず、気温は31度もありました。

帰りの飛行機は定刻通り。濃密な1泊2日の旅となりました。

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今回はここまで。本日もありがとうございました。

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