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今回は2015年「八丈島・青ヶ島旅行記」その3をお届けします。
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日本一人口が少ない村 東京都青ヶ島村
ネット上で「上陸難易度S級」と言われる青ヶ島ですが、当然この島に住んでいる人たちもいます。
島ひとつで青ヶ島村。村の人口は169人(2020年国勢調査より)で、日本一人口が少ない市町村となっています。青ヶ島村のホームぺージによると、いつから島に人が住んでいるのか(=なぜこの島に人が住み始めたのか)は分かっていないそうです。
二重式カルデラが形成された1785年(江戸時代)の噴火時には、島民約200人が八丈島へ逃れました。また、東台所神社(写真の鳥居)には、もう少し古い時代の記録が残されています。
1757年、浅之助という島民が、失恋の腹いせに島民7人を殺傷、その後本人は入水自殺するという事件が起こりました。東台所神社は浅之助氏の霊を鎮めるために建立されたと言われており、江戸時代には人の営みがあったことが伺えます。
1785年の噴火前は、現在の丸山周辺に深い池があり、その水を使った農耕も行われていたそうです。現代の青ヶ島では、こちらの山(写真)に降った雨水をろ過した水が生活用水として利用されています。
島の産業
1780年以降の火山活動によって島の木々は枯れ、水もお湯になり、作物は育たなくなりました。現在も農業に従事している人は少ないです。
江戸時代から人が住んでいたということは、幕府に年貢を納めていたはず。伊豆諸島の島々では稲作が行われていなかったため、各島の産物を江戸に出荷し、そこから年貢金が差し引かれていました。
■ 参考:1
青ヶ島が出荷していた産物は、養蚕によって作られた絹。その絹が八丈島の産物・八丈紬となり、将軍から諸大名への賜物として用いられたそうです。
こちらは青ヶ島唯一の港「三宝港」の手前。橋の下には船が置かれていますが、国勢調査の結果を見る限り、漁業をメインの仕事にしている方は1人しかいません。
青ヶ島には船を係留しておく港がないので、クレーン(写真)を使って、船が陸揚げされています。もちろん昔はこうした設備もなく、周辺の海も荒れることが多いため、漁業は発展しなかったと考えられます。
還住の歴史
1785年の噴火で全島民避難となり、青ヶ島は無人島になりました。
1835年、八丈島に避難していた青ヶ島島民やその子孫らが、青ヶ島への帰還を果たしたことを「還住」と言います。還住時の人口は今よりも多い240人ほどでした。
こちらは島(村)で唯一の信号機。子供たちの教育のため、青ヶ島村立青ヶ島小中学校の前に設置されています。この小学校の開校は1874年。開校から7年後の1881年には、青ヶ島の人口が史上最高の754人に達しました。
押しボタン信号なので赤に変えてみました。この信号は1日にどれくらい赤に変わるのでしょうか。車は普通に走っているので、島を歩く時も交通安全への意識は必要です。
私たちも滞在2日目は、あおがしま丸の出港までレンタカーを借りて島を走ってみました。狭い道が多く、アップダウンもあるので、運転の難易度はなかなか高めです。
ちなみに、島の車のナンバーに書かれている地名は「品川」。
ガソリンスタンドもあります。
人口減少の理由
還住以降人口が増加していた青ヶ島に転機が訪れたのは、1887年、横浜ー八丈島ー小笠原諸島を結ぶ定期航路が就航し、小笠原の開拓が本格化したところからです。
政府が厚遇のもとに移住を奨励したこともあり、年に2回、小笠原へ行く船が青ヶ島へ寄港するようになると人口が流出。その後の人口は400人前後で推移し、1940年に青ヶ島村として独立した時の人口は407人でした。
■ 参考:2
こちらは青ヶ島郵便局。青ヶ島へ郵便を送るときは、番地を記載する必要がありません。「東京都青ヶ島村無番地」と相手の名前を書くと、しっかり届くようになっています。これも人口が少ない村ならではのことです。
こちらは警視庁八丈島警察署青ヶ島駐在所。青ヶ島村は八丈支庁の管轄でもあり、八丈島との結びつきは昔から強いです。
今回宿泊させていただくのはあおがしま屋さん。建設業が盛んな島では、島外の工事関係者が長期滞在する場合が多く、この日もそうした人たちで満室状態した。
旅行者は私たちだけ。素泊まりのため、夕食はカップ麺!…のつもりでしたが、工事の人たち用のご飯が余ったということで、なんと夕食をサービスしていただきました。魚は宿の息子さんが釣り上げたそうです。
夕食後に釣りの様子も見学させていただきました。この日は大漁。青ヶ島には釣りを目的に訪れる人も多いそうです。
また、夜は星空が綺麗な場所としても人気の青ヶ島。この日は綺麗な月が出ていて空が明るく、星は全く見えませんでした。
さらば青ヶ島
青ヶ島2日目。午後のあおがしま丸で八丈島へ戻る予定ですが、船が運航されるかどうかが心配の種です。
青ヶ島では、テレビで港の様子を見ることが出来ます。波はほとんど無さそうなので、これならきっと大丈夫でしょう。
こちらはヘリポートの様子。もちろん地上波の放送も見ることが出来ます。
今回は夕食に続いて、朝食もサービスしていただきました。もし食料が必要になったら、こちらが商店。幻のお酒「青酎」をはじめ、青ヶ島のお土産もここで手に入れることが出来ます。
自動販売機もありますが、飲み物が買えるかどうかは不明です(笑)
島にある娯楽施設は居酒屋くらいでしょうか。天気が良かったので、あちこち歩いて回ることが出来ましたが、雨が降っていたらかなり退屈していたと思います。
宿をチェックアウトした後は、船が来るまでの時間はレンタカーを借りて島をドライブ。
12時半過ぎ、三宝港へやって来ると、青海原を突き進む小さなあおがしま丸の姿が見えました。このまま接岸の予定ですが、「やっぱり無理」となって、八丈島へ引き返してしまうこともあるようなので、乗船するまで気は抜けません。
行くまでは「何としても上陸してみたい」と思う一方で、来てみたら「何としても帰りたい」となるのが、青ヶ島の旅の特徴です。数日ならまだいいとして、2週間くらい島に閉じ込められたりしたら、色々と大変なことなります。
■ 参考:定期船の強さを比べてみた
さらば青ヶ島。約24時間の滞在でしたが、非常に濃い時間となりました。
往復とも船で、予定通り1泊2日で帰ることが出来たのは、かなりラッキーなことだったようです。
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今回はここまで。本日もありがとうございました。
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