今回は立山黒部アルペンルートが建設された背景(アルペンルートは何のため?)の後編です。日本電力時代から調査が行われていた黒部第四発電所の建設。戦争もあり建設計画は中断してましたが、戦後の急速な経済復興に伴い、関西では停電が頻発するほど電力が不足していました。
★前編は こちら ★
立山黒部アルペンルートの歴史
東洋アルミナム株式会社から黒部川の電力事業を引き継いだ日本電力は、国策企業・日本発送電株式会社(1939年設立)に統合され、日本の電気事業市場は日本発送電株式会社による独占体制となっていました。
独占資本の解体(財閥解体)を戦後処理の重要な課題としていたGHQは、1951年に電気事業再編を行い、日本発送電株式会社を解体。新たに北海道電力・東北電力・東京電力・中部電力・北陸電力・関西電力・中国電力・四国電力・九州電力が設立され、黒部川水系は関西電力の管轄となりました。
関西電力は1951年9月から黒部川の再調査を開始。そして、1956年10月(熊谷組によると8月)、ダム建設資材を輸送するための「大町ルート=大町トンネル(関電トンネル)」の工事が始まりました。
一方、富山県側では『第一次富山県総合開発計画(1952年)』が策定され、美女平ー室堂間の自動車道路建設が決定。さらに、立山山岳地域の観光交通体系整備を目的として、富山地方鉄道株式会社・関西電力株式会社・北陸電力株式会社の3社により立山開発鉄道株式会社(TKR)が設立されました。この会社の社長を務めたのが、前回もご紹介した芦峅寺出身の佐伯宗義氏です。
現在の立山黒部アルペンルートで最も早く開業したのは立山駅と美女平駅の間を結ぶケーブルカーです。1952年12月から工事が始まり1954年8月に営業を開始。1955年には、県の有料道路事業として整備された富山県道6号富山立山公園線(立山登山道路)が開通し、美女平ー弘法間で観光バスの運行が始まりました。
なお、当時は立山駅と美女平の間を結ぶ道路がなく、立山登山道路まで向かう自動車はケーブルカーで運ばれました。立山登山道路を走る観光バスもまたケーブルカーで運ばれていたそうです。観光バスは1956年9月までに弘法から先の追分まで運行するようになりました。
さらに1955年7月には、現在の富山地方鉄道が立山駅と電鉄富山駅との間で直通運転を開始。関電トンネル工事が始まる前には、すでに富山市街地から室堂の手前までの交通手段が確保されていたのでした。
関電トンネル工事と黒部ダム建設
黒部ダム駅には【「黒部の太陽」で有名な破砕帯の美味しい「湧水」です】という案内ともに、湧水を飲むことが出来るスポットがあります。「黒部の太陽」は、黒部ダム建設と関電トンネル工事の様子を描いた映画のこと。特に関電トンネルの工事は過酷だったことで知られています。
当初は順調に工事が進んでいたそうですが、1957年5月、地下水を溜め込んだ軟弱な地盤「破砕帯」にぶつかり、約80mを突破するのに、7カ月を要することとなりました。1958年2月に関電トンネルは開通。黒部ダムが完成(1963年6月)するまでには、7年の歳月と513億円の工費、延べ1千万人の人手を要し、171人が犠牲となりました。
ダムの高さ186mは日本一。ちなみに、ダムは水を堰き止めているコンクリートの壁のこと。黒部ダムによって堰き止められて出来た湖を「黒部湖」と呼びます。
黒部湖の総貯水量は2億㎥!と言われてもよく分かりませんが、日本で年間に使用される生活用水の量は、黒部湖約72杯分になるそうです。
乗り物開業と道路の開通
関電トンネルが開通し、黒部ダムの建設が急ピッチで進む中、立山・黒部・有峰地区の一大循環ルートを完成すべきとの社会的要請が高まっていました。
1960年3月、当時の富山県観光事業審議会は「立山黒部有峰地帯観光開発計画」を策定。この計画に基づき、富山県立山ー長野県大町間を一貫する交通路開設の調査・建設・経営を目的として、富山県・立山開発鉄道(現在の富山地方鉄道)・北陸電力・関西電力の4者により、立山黒部有峰開発株式会社が設立されました(1960年5月)。
現在、立山黒部アルペンルートのうち、黒部湖駅から立山駅までのケーブルカー、ロープウェイ、トロリーバス、立山高原バスなどを運行しているのは立山黒部貫光株式会社。立山黒部有峰開発株式会社はその前身にあたります。
関電トンネルトロリーバス
1964年6月20日、美女平ー室堂間で観光バスが開通。1964年8月には扇沢駅ー黒部ダム間で関電トンネルトロリーバスの運行が始まりました。Wikipediaによると、黒部一帯が中部山岳国立公園に指定(1934年12月~)されていたため、「一般公衆の利用に供すること」が関電トンネルの建設許可の条件となっていたそうです。
扇沢駅から黒部ダム駅までの距離は6.1km。標高差は37mです。2019年春から、関電トンネルを走る車両は電気バスに切り替わりましたが、それまではトロリーバスが運行していました。
トロリーバスの動力源は、ガソリンではなく架線からの電気。フォルムは「バス」ですが、乗り物の分類としては「鉄道」になるそうです。戦前から戦後にかけて、全国の都市でも普及しましたが、自家用車の増加と地下鉄の建設で、その姿を見ることは出来なくなりました。
ケーブルカー
1965年11月、黒部湖(黒部ダム)と室堂を繋ぐ交通路を建設するため、黒部ケーブルカー・立山ロープウェイ・立山トンネルの起工式が行われました。また翌年9月には、移動手段がケーブルカーのみだった立山駅と美女平駅間を繋ぐ道路の建設もスタート。
そして1969年7月、まずは黒部ケーブルカー(黒部湖ー黒部平)が営業を開始しました。豪雪と自然景観保護のため、日本で唯一の全区間地下を運行するケーブルカーです。開業から50年以上、ずっとこの車両が使われています。
黒部湖駅ー黒部平駅間の標高差は約400m。最大で31度にもなる勾配を約10分かけて登っていきます。ちなみに運転は黒部平で行われているため、この車両に運転士は常務していません。
1970年7月、立山ロープウェイ(黒部平ー大観峰)が営業を開始。黒部平側にある85tの重りと、大観峰側に設置されたモーターで運行されており、こうした「ワンスパン方式」 のロープウェイでは日本一の運行距離です。途中には支柱が1本もないので、山がより近くに感じられます。
こちらは大観峰駅からの景色。標高は2,316mにもなります。大観峰駅と黒部平駅は、乗り換えのための駅という要素が強く、駅周辺を観光したりすることは出来ません。
桂台~美女平間の道路が開通
続いて開通したのは美女平ー桂台間の道路(1970年12月)。これにより富山市街地から標高2,450mの室堂まで、自動車で直接アクセスすることが出来るようになりました。なお、開業当初から桂台ー室堂間ではマイカー規制が行われているため、一般客が富山側から室堂へ向かう場合、必ずバスを利用する必要があります。
私が訪れた時は、立山駅と美女平駅を結ぶケーブルカーが運休しており、室堂から立山駅まで直行するバスが出ていました。バスは4~11月のみ運行し、冬期の運行はありません。
立山トンネルトロリーバス
1971年4月、立山の主峰・雄山(標高3003m)を貫く立山トンネルバス(大観峰~室堂)が営業を開始し、立山黒部アルペンルートは全線開業となりました。
立山トンネルにもトロリーバスが走っており、2023年現在、日本で最後のトロリーバス運行区間となっています。なお、全区間トンネルのため、車窓の景色を楽しむことは出来ません。
2023年に立山黒部アルペンルートを訪れた観光客は71万人。開業から50年以上経った今も、日本屈指の山岳観光ルートとして人気を集めています。
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今回はここまで。本日もありがとうございました。
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