ブログをご覧いただきありがとうございます。
今回は「2025年 小笠原諸島に育休移住してみた」その12をお届けします。
★前回の記事は こちら ★
父島の長崎展望台から兄島を見る
2025年4月25日、育休移住12日目は、ベビーを抱っこしながら、父島を時計回りに歩いて1周(約20km)しています。

島の東半分を通る夜明道路には、いくつかの展望台が点在しており、時計回りに進むと、最初に現れるのが長崎展望台です。

晴れた日には、いわゆる “ボニンブルー” と呼ばれる小笠原の鮮やかな海の色が広がり、思わず足を止めて見入ってしまう景観が楽しめます。
港からの距離は約3.5kmあり、そのうちの大半が上り坂となるため、徒歩での移動はやや負担を感じるかもしれません。

とはいえ、その先に待つ景色を思えば、十分に足を運ぶ価値のあるおすすめのスポットといえるでしょう。

そして、対岸に見えているのが兄島。父島と兄島を隔てる水路は兄島瀬戸と呼ばれています。
兄島の歴史
現在は無人島の兄島。戦前にはわずかな人数が暮らしていたと伝えられていますが、その記録はほとんど残されていないようです。

例外的に、外来種駆除などのボランティア活動に参加する島民が上陸することはあるものの、原則として立入禁止。ガイドツアーも行われていません。

1995年に、旧運輸省の第7次空港整備五箇年計画において小笠原空港の整備が事業採択されると、建設予定地として兄島が検討されました。しかし、その後の調査で固有種の存在など、貴重な自然環境が確認されたことから、計画は中止されています。
小笠原諸島に「家族の名前」が多い理由
南北およそ400kmにわたって点在する約30の島々からなる小笠原諸島。現在見られる「父島」「母島」「兄島」といった名称は、島々を一体として捉える中で整理されたと考えられます。

1727年に小笠原貞任が幕府へ提出した『巽無人島記』には、1593年に小笠原貞頼(貞任は貞頼の子孫を名乗る)が島々を発見し、「父島」「母島」と名付けたという記述があるそうです。ただし、この話は小笠原貞任によってでっち上げられたもの。その嘘は貞任が存命の間にばれており、貞任は処罰を受けています。
■参考:1
■参考:小笠原諸島という名前について

その後も長らく小笠原に定住する者はおらず、欧米では「ボニン(無人)諸島」と呼ばれていました。1800年代に入ると欧米船が来航し、1853年にはあのペリーも父島に寄港。それ以降、小笠原は「ピール島(Peel Island)」と呼ばれるようになります。
■参考:ペリー来航の歴史

小笠原が国際的に日本領土と認められたの1876年以降、『巽無人島記』に記述されていたという「父島」や「母島」といった島名を基点に、周辺の島々にも兄島・弟島・姉島・妹島といった、家族関係に由来する名前が付けられていったのでしょう。

現在、小笠原諸島には以下のような島名がありますが、これらは父島・母島を中心とした“関係性”の中で整理された結果と考えられます。
- 家族由来:父島・母島・兄島・弟島・姉島・妹島・姪島・孫島・嫁島・聟島(むこじま)・媒島(なこうどじま)
- 方角:北之島・南島・西島・東島・西之島 など
- その他:硫黄島・北硫黄島・南硫黄島・瓢箪島・人丸島・巽島・沖ノ鳥島・南鳥島・平島・向島 など

なお、これらの島々の中で、一般の観光客が上陸することが出来るのは父島と母島だけ。また、南島はツアーに参加することが出来る他、島に長く滞在していると、兄島のように、無人島に上陸できる機会があるかもしれません。
■参考:天然記念物の島 南島上陸

近接する複数の島々に名称を与える際には、一定の規則性や関係性を持たせることで、地理的なまとまりを直感的に把握しやすくなります。小笠原における「家族」を想起させる島名も、そうした発想のもとに生まれたのでしょう。

ちなみに、小笠原の南に広がるミクロネシアでも、日本統治時代(1914年~1945年)は春・夏・秋・冬になぞらえた「四季諸島」や、曜日に対応させた「七曜諸島」といった名称が付けられました。
■参考:ミクロネシア旅行記
.
今回はここまで。本日もありがとうございました。
.






コメント