グスク(城)を1日で巡る旅 世界遺産で沖縄・琉球の歴史を知る 絶景もおすすめ

南国日記~沖縄移住の記録~

ブログをご覧いただきありがとうございます。

今回は「沖縄のグスク(城)を巡る旅」の旅行記をお届けします。

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グスクとは何か 首里城もグスク

沖縄には「グスク(城)」と呼ばれる建造物が、各地に点在しています。

そうしたグスクの一部は、2000年に「琉球王国のグスク及び関連遺産群」として、世界文化遺産にも登録されており、実は首里城もグスクのひとつ。

ちなみに、昨年10月末に火災が発生しましたが、燃えた正殿などは再建されたもので、昔からずっとあるものではありません。

2019年の火災で、5回目の焼失となりました。

前回の焼失は、75年以上前、沖縄戦の時。

そして、2019年の1月、30年間にも及ぶ復元工事が完了したばかりでした。

1429年、尚巴志という人物が、沖縄(琉球)を統一したことで、琉球王国が誕生。

首里城は、1879年の琉球処分(沖縄県の誕生)までの間、琉球王国の政治・外交・文化の中心地でした。

尚巴志による統一以前の時代を、沖縄では「グスク時代」と呼びます。

各地で豪族(按司)たちが群雄割拠する時代、現在残るグスクの跡は、そうした豪族たちの拠点となっており、首里城は、1406年から中山を治めるようになった、尚巴志が拠点としていました。

護佐丸によって築かれた座喜味城跡

今回は、原付で1日かけて、本島中南部にあるグスクを巡りました。

まずやってきたのは、読谷村にある座喜味城跡

入場料は無料です。

世界遺産に登録されているグスクのひとつで、1420年頃、読谷村按司・護佐丸によって築かれました。

2つの石の間に、「くさび石」を嚙み合わせた『アーチ石門』が、座喜味城跡の特徴らしい…

くさび石を用いる方法は、他のグスクには見られないそうですが、いかんせん地味なので、私には凄みがよく分かりませんでした。

また、琉球石灰岩で出来た城壁は「あいかた積み」という手法が用いられており、これは当時の築城技術が優れていたことを表しているそうです。

グスクの外観は、日本の一般的な城の形とは異なり、石積みの要塞のようになっています。

座喜味城跡を造った護佐丸は、1440年、中城城へ移りました。

しかし、ここでの出土品は15世紀から16世紀の中国製の青磁と陶器が多いそうで、護佐丸が移動した後も、座喜味城は使用されてたと考えられています。

座喜味城跡は、標高120mほどの丘陵地に立地しており、読谷村のほぼ全域を眺望することが出来ます。

高台にあるということで、沖縄戦の時には日本軍の高射砲陣地として利用され、戦後は、米軍のレーダー基地が設置されました。

こちらはインバウンドの団体旅行

ただ、それ以外は平日だったこともあり、見学している人は全然いませんでした。

阿麻和利の時代に繁栄した勝連城跡

座喜味城跡の次は、うるま市にある勝連城跡にやってきました。

グスクはこうした、小高い丘の上にあることが多いです。

こちらも世界文化遺産のひとつ

入場は無料です。

13世紀前後から、城塞としての体裁が整えられたと考えられており、城主は「勝連按司」から、10代の城主「阿麻和利」まで続いたと伝えられています。

沖縄最古の歌謡集「おもろさうし」の中で、10代城主・阿麻和利は、「千年もこの勝連をおさめよ、勝連の名高き王」と称えられています。

阿麻和利は人々の信頼が厚かったそうで、若くして勝連の按司となり、海外貿易により力を付けました。

そんな阿麻和利が治めていた勝連は、「きむたか(肝高)」と表現され、京都や鎌倉に例えられるほど繁栄していたそうです。

スマホで体験する勝連城跡

案内板にあるQRコードを読み込むと、約600年前、城が使われていた当時の風景が、360°のパノラマで楽しむことが出来るようです。

やりませんでした。

1458年、 阿麻和利は、座喜味から中城に居城を移した護佐丸を滅ぼし、その勢いのまま首里城を攻めましたが、大敗し滅びました

沖縄では、1429年から琉球王国が成立しており、王府から見れば阿麻和利の存在は脅威で、悪役扱いをされたようです。

地域によって、真逆の人物像が伝わる、謎多き英雄・阿麻和利の見た目は、こんな感じらしいです(笑)

護佐丸が引っ越した中城城跡

次は中城城跡へ向かいます。

グスク時代には、それぞれの集落で豪族(按司)が勢力を広げていましたが、その距離間は比較的近かったようです。

移動中に見つけた、道端のさりげないシーサー。

沖縄ならではの光景です。

あの山の上にあるのが中城城跡です。

勝連城跡から40分ほど走り、中城城跡に到着しました。

中城城跡も世界遺産のひとつです。

そして「料金所」という看板がある通り、今回巡ったグスクの中で唯一有料、大人1人400円です。

カートのりば 無料」と書いてありますが、ここへ来る前に入場料を支払う必要があります

入場券をゲットしたら、このカートで丘の上まで運んでもらえます。

5分ほどカートに揺られて、丘の上に到着しました。

中城湾の絶景が広がります。

ここからは散策ルートの案内があるので、その順に巡っていきます。

中城城跡は世界遺産であると同時に、日本100名城のひとつでもあります。

築城年代は不明のようですが、14世紀後半に先中城按司が、数世代にわたって築いたと言われています。

こちらが一の郭。正殿があったそうです。

廃藩置県の後は、中城村役場が置かれていましたが、沖縄戦で焼失しました。

こちらは二の郭

一の郭と二の郭では「布積み」という石積み技法が用いられています。一段ごとに高さを揃えてブロック状に積み上げる技法で、別名「豆腐積み」と言われています。

ちなみに、写真中央にある碑は、日露戦争の戦没者に向けた忠魂碑です。

こちらは三の郭

1440年、座喜味城跡から護佐丸がやって来て、当時最高の築城技術を以て、北の郭、三の郭を増築したと伝えられています。

そもそも「」とは、読み方は「かく」ではなく「くるわ」、「曲輪」ともいいます。

一定の広さを持った区画のことで、この区画ごとに防御陣地や建造物を建てていくのです。

こちらは裏門。

あのペリーさんもここに訪れたそうで、その際「エジプト式」と評した、精巧なアーチ門です。

中城城跡のジオラマがありました。一番高いところにあるのが一の郭です。

ぐるっと歩いて、30分ほどで入口の近くまで戻ってきました

帰り際の看板には、護佐丸さんからのメッセージが書かれていました。

原付を止めて、写真を1枚。

中城城跡の周辺は小高い丘になっているので、こうした絶景も楽しむことが出来ます。

沖縄南部のグスクを巡る

ここまでは沖縄本島の中部にあたるエリアでしたが、ここからは、南部のグスクを巡ります。

沖縄本島南部最大級 糸数城跡

中城城跡から約45分、南城市にある糸数城跡にやって来ました。

こちらは沖縄本島南部最大級のグスク

同じ南城市にある「玉城城跡(今回は行きません)」の、西の守り城として築かれました。

築城年代は不明ですが、14世紀前半であろうと言われています。

城壁は、最も高いところで約6mにもなります。

これまでのグスクとは異なり、整備はされておらず雑草も伸び放題。

案内の看板もなく、もちろん無料です。

3方を海に囲まれた具志川城跡

次にやって来たのは糸満市にある具志川城跡

沖縄本島の、ほぼ南端に位置しているグスクです。

ハブに注意。

草刈りなどの整備が行われていない場所に入っていくのは危険です。

少しこじんまりとしていますが、グスクの向こう側には海が見えます。

具志川城跡は海に突き出た、標高約17mの海食崖に位置しているので、グスクから海を見下ろすと…

こんな絶景が広がります!

城門付近以外は、3方が海に囲まれているのが特徴です。

15世紀初め、久米島を支配していた真金声按司が、この地に辿り着いて築城したと言われており、国指定の史跡にもなっています。

グスク内にある「ヒーフチミー(火吹き穴)」。

この穴は海へと通じており、グスク時代には、荷物の上げ下ろしや、有事の際の避難が行われていました。

全然知られていないスポットですが、一見の価値がある場所だと思います。

他のグスクと雰囲気が違う 南山城跡

ということで、次が最後のグスクです。

やってきたのは南山城跡

これまでのグスクとは雰囲気が異なります。

標高が低く、周囲を木々に囲まれているので、見晴らしがいいわけでもなく、何なら立派な城壁なども残ってはいません。

城跡の敷地内には、大きな鳥居も立っています。

すぐ隣は小学校で、小学生たちの公園のような場所になっています。

南山城跡は14世紀の初め、現在の糸満市周辺にあった南山王の居城でした。

南山は明(中国)との交易を盛んに行い、このグスクを中心に南山文化を築きましたが、1429年、中山王・尚巴志によって滅ばされました

そして、首里城を拠点とした、琉球王国が成立するのです。

グスクを巡ることで、沖縄の歴史に触れる旅はいかがでしょうか。

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今回はここまで。本日もありがとうございました。

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