南大東島上陸!八丈島出身・玉置半右兵衛が開拓したサトウキビの島|2017年旅行記その8

旅の思い出

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今回は「2017年 九州・沖縄の島を巡る旅」旅行記その8をお届けします。

★前回の記事★

大東島が出来るまで

那覇からフェリーだいとうを利用して、南大東島に上陸しました。

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6時間ほど南大東島に滞在しますが、全くのノープラン。とりあえず、港にいた島の方に「原付を借りたい」と聞いてみたところ、車でレンタルバイク屋さんまで送っていただきました。

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ということで、今回は原付で南大東島を巡ります。

まず目指すのはバリバリ岩と呼ばれるスポット。

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大東諸島は今から4800万年前、現在のニューギニア諸島付近で起きた火山隆起により誕生した火山島に、サンゴ礁が堆積して出来た島々です。そのため、横から見ると、サンゴの島ならではの。非常に平べったい形をしています。

その後、島はフィリピン海プレートに乗って北上し、現在の位置まで移動してきました。バリバリ岩は地殻変動の影響で岩盤が割れて出来た、いわば大地の裂け目となっています。

今でも南大東島は、1年間に約7cmというスピードで、ゆっくりと沖縄本島方面に移動し続けているそうです。

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船から見た南大東島の海

その結果、現在の大東諸島の周辺400kmには陸が存在せず、さらに島から2kmほど離れると、海の水深が1000mを超える、正真正銘の「絶海の孤島」となっています。深海には大東海嶺という海底山脈があり、その山の頂上が南北の大東島にあたります。

東洋一美しい 星野洞

バリバリ岩の次にやって来たのは星野洞

ここでは「東洋(アジア)一美しい」とも言われている、鍾乳洞を見学することが出来ます。

サンゴで出来た島には鍾乳洞が形成されることが多く、南大東島も、周囲約20kmの島に100を超える数の鍾乳洞があるとされています。

地面から天井に向けて伸びる「石筍」と、天井から地面に伸びる「つらら石」。

つらら石は1cm伸びるのに100年以上、石筍はその3倍かかるとされており、これらが非常に長い年月をかけて出来たものであると分かります。

入場料は大人1人800円。チケットは空港でも買うことが出来るそうです。入場時にタブレットを渡されるので、洞内の各スポットで解説を見聞きしながら歩くことが出来ます。

懐中電灯も貸していただけますが、内部は通路が整備されており、鍾乳石はライトアップされているので、懐中電灯を使わなくても、手軽に安全に見学することが出来ます。

玉置商会による大東島の開拓

大東諸島は、今から1800年代(明治時代)まで無人島でした。そんな絶海の孤島の開発に着手したのが、玉置半右兵衛という人物です。

1838年、伊豆諸島・八丈島で生まれた玉置半右兵衛。青ヶ島の南に浮かぶ「鳥島」で、アホウドリの羽毛を採取・輸出する事業で資産を築き、次に彼は大東諸島に目を付けました。

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1900年、玉置氏の命を受けた開拓移民23名が南大東島に上陸。ここから開拓が始まり、上陸地点となった西港は現在も、フェリーだいとうが接岸する主要港の役割を果たしています。

こちらは西港を見下ろす位置にある「旧ボイラー小屋」。台風時、船を陸地に引き揚げておくための施設の原動力室だったようで、島の開拓の歴史を物語る遺構のひとつとして、国指定の文化遺産にも指定されています。

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開拓から2年後には、島で栽培されたさとうきびを加工する製糖工場が完成しました。道路に線路が埋まっていますが、こちらは「シュガートレイン」の跡。1983年まで、 南大東島にはサトウキビを運ぶためのトロッコが走っていました。

草木の中に放置されているタンク車。こうした車両が島内を走っていたのでしょうか。

玉置氏が経営する玉置商会は、こうした島の交通だけでなく、郵便・通信・病院・学校までも運営し、さらには島内通貨も流通させていました。

しかし、いくら働いても島内通貨しかもらえないと、島の外で使われているお金は紙切れにしかなりません。しかも島外へ出るための船も会社所有なので、逃げることは出来ず。会社のトップが八丈島出身、労働者は沖縄出身という「ピラミッド構造」になっていたそうで、玉置商会はネットで「最もブラックな会社」と言われています(笑)

さとうきびの島

南大東島では、玉置商会という企業がこれだけの影響力を持つ状態が戦後まで続き、村民に土地の所有権が与えられたのは1964年のことでした。

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玉置商会は戦後に経営不振で破綻しましたが、南大東島が「さとうきびの島」であることは変わりません。

こちらはフェリーだいとうの船内テーブルに書かれていた、『南大東音頭』の歌詞。「砂糖の島」「キビの波」「砂糖工場」というフレーズが出てきます。

耕地面積の9割がさとうきび畑となっており、日の丸山展望台からは、一面に広がるさとうきび畑を見ることが出来ます。

現在、南大東島にある製糖工場はこの1つだけ。島で収穫されたさとうきびはここに集積され、加工されています。そして煙突をよく見ると、「さとうきびは島を守り、島は国土を守る」と書かれています。

  • さとうきびは島を守る=島の基幹産業である
  • 島は国土を守る=日本の領土を維持する

そんなメッセージだと思われます。

また旧南大東空港では『COR COR(コルコル)』という、島のさとうきびを使用した、日本初のラム酒かつ、沖縄初の地酒醸造が行われています。ちなみに「COR COR」という名前は、「CORAL CORONA(サンゴの冠)」の頭文字から来ているそうです。

八丈島の文化が残る島

大東諸島は5つの島々で構成されており、現在は「南大東島」と「北大東島」に人が住んでいます。

南大東村の人口は、2020年の国勢調査で約1200人。その数は少しずつ減少しています。

一方で高齢化率はそれほど高くありません。移住から始まり、島自体の歴史も浅いため、多くの島民のルーツは島外にあると思われます。年を取ると、島を去る人が多いのでしょう。

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そのルーツの地のひとつが八丈島。那覇で使用されているフェリーだいとうのタラップには、「おじゃりやれ・大東島へ」と書かれています。おじゃりやれは八丈島で使われる「いらっしゃい」の挨拶です。

南大東村役場のホームページにある【特産・名物】の一番上で紹介されているのは「大東寿司」。 醬油ベースの特性タレにサワラ・マグロを漬け込み、甘酢飯で握る…

これは伊豆諸島の「島寿司」と全く同じです(笑)他には、大東太鼓も八丈太鼓と似たようなものとなっています。

★参考:八丈島旅行記★

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本土と沖縄の文化の両方の影響を受けているのも、大東島の面白いところです。沖縄では至る所に見られる「御嶽」も大東島には無く、その代わりに「お地蔵さん」が置かれています。

約6時間という短い滞在時間でしたが、島をぐるっと原付で回ることが出来ました。

再びクレーンに吊るされてフェリーだいとうに乗船。この日は北大東島に1泊します。

今回はここまで。本日もありがとうございました。

★続きはこちら★

コメント

  1. ヤマモト ヒデカズ より:

    テレビで紹介されていたので興味が湧いて探していましたら、ここにたどり着きました。
    目からウロコの歴史がわかり、勉強になりました。

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