さるびあ丸で新島上陸!石山展望台でコーガ石の景色を観光する|2018冬 旅行記1

新島・式根島旅行記

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今回は「2018年 新島・式根島旅行記」その1をお届けします。

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冬の新島へ 竹芝桟橋出港

2018年12月19日、私は沖縄に移住しましたが、その前日まで新島式根島を旅していました。

今回は、事前に金券ショップで株主優待券をゲットしていたので、35%の割引料金で乗船券を購入することが出来ました。まずは東京・竹芝桟橋から、22時発のさるびあ丸に乗船し「新島」へ向かいます。

翌日は晴れ予報ですが、それ以降は天気があまりよくなさそうです。冬の島旅で天気が悪いと、島に行ってもやることがありません。金曜日夜ですが、乗船するお客さんも少なめでした。

1992年就航の2代目さるびあ丸。2020年6月、28年間運航した伊豆諸島航路を離れ、ベンガル湾へ活躍の場を移しました。これが私にとって、最後の2代目さるびあ丸乗船です。

【さるびあ丸】レインボーなレインボーブリッジと横浜ベイブリッジの下を通過する動画

金曜日出港のさるびあ丸は、途中横浜へ寄港してから、伊豆大島へ向かいます。こちらの動画は、レインボーにライトアップされたレインボーブリッジと、横浜ベイブリッジの下を通過する様子です。

新島上陸 流罪の地から観光の島へ

船はそれほど揺れず、伊豆大島到着時も目が覚めることはなく…

竹芝桟橋を出港してから約10時間、朝9時前に新島へ上陸しました。地面を見ると分かりますが、雨が降っています。竹芝桟橋の天気予報で見た晴れ予報は、どこへ行ってしまったのでしょう。

東京都心から約150km、伊豆・下田からは約36kmの位置に浮かぶ新島。

この画像には alt 属性が指定されておらず、ファイル名は IMG_4966-1024x768.jpg です

1668年から1871年まで、新島は罪人たちの流刑の地となっていました。こちらは、無実を主張しながらも処刑された流人・清右衛門の霊を慰めるための墓石。無罪である証に「榎を生やす」と言って亡くなり、その後、本当に榎が生えてきたという逸話が紹介されています。島内には流人の共同墓地もあります

今回私は夜出港のさるびあ丸を利用しましたが、高速ジェット船を利用すると、3時間かからず到着します。ただし、冬は海が荒れることが多く、ジェット船の就航率はグッと下がるので、注意が必要です。

新島空港

さらに、新島には空港もあり、調布飛行場からの飛行機1日3便就航しています。

新島空港着陸直前の飛行機

飛行機を使うと新島まで約40分。このように、都心からのアクセスが比較的良いため、新島は東京諸島の中で伊豆大島、八丈島に次いで、観光客が多い島2014年)となっています。旅先でも「新島には行ったことがある」という声を聞くことが多いです。

新島では、港から歩いて1.6kmほどの場所にある「せんたく屋」さんに2泊します。クリーニング店も併設されているのが、この宿の名前の由来です。

宿まで歩く途中、港周辺のお店はほとんど開いていませんでした。新島に限らず、冬の離島は寂しい雰囲気の場所が多いです。

★参考:活気があって楽しいのが父島★

原付で石山展望台へ

港から宿まで歩いている間に雨が止んだので、宿に荷物を置いて、外へ出かけます。

当時は原付を借りることが出来たので、この日は原付で新島を巡ることにしました。新島観光協会のホームページを確認したところ、2023年2月現在、レンタサイクルはありますが、原付のレンタルは無さそうです。

まずは島の南部にある「石山展望台」を目指します。こちらは展望台へ向かう途中に見つけた鳥ヶ島。新島と砂浜でつながっている、いわゆる陸繋島です。見たところ島に足場は無く、島の情報も無いので、上陸難易度は高いと思われます。

新島の南方面の景色。海に向かって崖のような斜面になっています。新島南部は向山火山(標高301m)と呼ばれる流紋岩の溶岩ドームです。石山展望台があるのは山の上ですが、展望台までは車や原付で行くことが出来ます

ミサイル試験場と書かれた看板がありました。こちらは防衛庁技術研究本部の試験場。Wikipediaには『ミサイルなどの誘導武器の発射試験に関する業務を行っている』と記載があります。

かつてはロケットの打ち上げもあったようですが、種子島宇宙センターが建設されてからは行われていません。現在も立ち入りは禁じられており、詳細は不明。GoogleMapを見ると、何となく敷地内の様子を伺うことが出来ます。

原付で山道を登っていきます。途中ではお隣の式根島、その先に浮かぶ神津島も見えました。それにしても、万全の寒さ対策をしていたつもりでしたが、原付に乗っていると、耳や手がちぎれるかと思うほどの寒さ。冬の島旅で原付を借りるときは、覚悟が必要です。

★参考:五島列島でも寒かった★

コーガ石と新島を知る

途中から、道路沿いには白っぽい岩がゴロゴロと転がり、ワイルドな景観になりました。

この白っぽい岩が、世界でイタリア・リーパリ島と新島でしか採れないとされる「コーガ石」です。新島のコーガ石は、886年に起きた向山火山の噴火によって形成され、学術名は「黒雲母流紋岩」と言います。手で持ってみると軽く、ざらざらとしている印象です。

軽量性・耐火性・断熱性・耐酸性から、多くの用途に使用されてきましたが、いつ頃から利用されているのか、はっきりとは分かっていないそうです。東京都のホームページによると、名称の変遷は以下の通り。

  • 江戸時代の島の人々:軽石or浮石(かぶいし)
  • 江戸時代末期:剛化石
  • 大正時代:抗火石
  • 戦後:コーガ石

また、大正時代に島外へ売られるようになったとあります。

新島抗火石建造物調査会によると、1700年代後半(江戸時代)から、島内で「つぼ石」や「ろびつ」など、コーガ石を使った道具が登場するそうです。1870年(明治時代)後半に島で大火が起こると、コーガ石を使った耐火建築物の建築も行われるようになりました。1877年の内国勧業博覧会にも、新島の特産品として出品されています。

1912年の「新島本村々有石材採掘取締規則」施行をきっかけに、コーガ石採掘が新島の産業へと成長し、島の経済を支えました。新島にあるコーガ石は推定10億トンと言われていますが、最近は良質な石が採れなくなったそうです。

新島村の数値から式根島分を引いています

こちらは2020年の新島の国勢調査。建設業は多い一方で、採石業はゼロ。砕石をメインにしている島民の方はもういないということが分かります。

石山展望台に到着しました。こちらは港方面の景色。無人島・地内島(左上)も見えています。約40年前、観光目的で地内島に持ち込まれたシカが海を渡り、新島へ上陸すると、その数が急増し、農作物が荒らされる被害が出ているそうです。

新島の南に浮かぶ「早島」という無人島も見えました。

展望台から少し歩くと、利島も見えました。ここまで楽に訪れることが出来るので、おすすめの観光スポットだと思います。

★参考:利島旅行記★

こちらは島の北側の景色。新島の最高峰「宮塚山(標高432m)」が見えており、その手前の谷のようになっている場所に集落や空港があります。ちなみに、宮塚山も溶岩ドーム。火砕物が堆積してできた台地に集落があります。

ところで、展望台の駐車場には大きなモアイ像が置かれていました。どうやら新島ではこれを「モヤイ像」と呼ぶそうです。詳細は次回。

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今回はここまで。本日もありがとうございました。

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