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今回は【2020年→2021年 年末年始の旅】旅行記その16をお届けします。
★前回の記事★
日本最東端の駅・東根室駅
根室市街地から歩いて日本最東端・東根室駅に到着しました。

今回の旅だけで、日本の最南端(沖縄・赤嶺駅)・最西端(沖縄・那覇空港駅)・最北端(北海道・稚内駅)、そして最東端を制覇することが出来ました。
1961年に開業した比較的新しい駅。どうやら根室高校の最寄り駅として開業したようですが、高校までは1.6kmも離れています。

ホームしかない非常に小さな駅で、1日の利用者は10数名しかいないようです。一方で、周辺は住宅街になっており、近くにはセイコーマートもあります。

レトロさを感じさせる「ひがしねむろ」の駅名板。北海道内の駅の多くは、「サッポロビール」とセットになった駅名板となっています。

これらはホーロー駅名板と呼ばれ、国鉄時代は首都圏の駅にもこのような駅名板が使われていたそうです。オリジナルの駅名板(の画像)を作ることが出来る『ホーロー駅名板シュミレーター』なるサイトもあります。

根室行きの列車がやって来ました。この列車で一旦根室へ戻り、その後釧路へ向かいます。
開業100周年の花咲線に乗車
約3分で根室駅に到着。

根室駅には、列車を待つ人の行列が外まで続いていました。皆さん納沙布岬の初日の出や金刀比羅神社への初詣が目的で、根室へ訪れていたのでしょうか。

根室駅から出発する普通列車は1日6本。11時3分発の快速はなさきに乗車します。

列車に乗る人全員に、お菓子やポストカードが入った福袋が無料配布されていました。これはラッキーなお土産です。

少年が持っている紙には「ありがとう花咲線」と書かれています。根室ー釧路間は根室本線の一部ですが、1991年、根室ー釧路間の管理を専門とする営業所が発足したことをきっかけに「花咲線」という愛称が付けられました。

花咲ガニのおかげで広く知られている「花咲(はなさき)」という名前。地名に由来するもので、元々は「鼻崎」と書きます。岬に付けられる漢字が並んでおり、アイヌ語ではないことが分かります。

根室駅の開業は1921年。2021年で花咲線は開業100周年を迎えました。

1両編成の車内は満員状態。座ることは出来ず、根室から釧路までの約2時間半、私はずっとこの場所に立っていました。

線路の上はこんな感じ。希少なオオワシやオジロワシたちが線路上にたむろするような、大自然の中を走ります。この鳥たち、汽笛を鳴らしてもなかなか動かず、列車がゆっくり近づいて、やっと飛んでいくような感じです。

北海道では近年、エゾジカの列車事故が増加しており、その亡骸を狙った鳥たちが線路に集まり、鳥との衝突事故も増加しています。2019年には列車と衝突した鳥が窓ガラスを突き破って、車内に入るという事故も発生しているそうです。この列車も途中、何度か急停車がありました。

こんな場所によく鉄道を通したなと思いますが、明治の北海道開拓以前から、根室や千島列島には人が住んでいたため、必要とされたのでしょう。

1896年の北海道鉄道敷設法では、現在のように海沿いを走るルートではなく、また根室ー釧路を結ぶ計画でもなかったようです。

「石狩國旭川ヨリ十勝國十勝太及釧路國厚岸ヲ經テ北見國網走ニ至ル鐵道」とあります。つまりこの路線のルートはこんな感じ。

現在の富良野線・根室本線・釧網本線が該当します。つまり、今回乗車している根室本線は旭川と釧路の双方から着工され、1899年に旭川駅ー美瑛駅間が、釧路側は1901年に釧路駅ー白糠駅間が開業しました。

また「十勝國利別ヨリ北見國相ノ内ニ釧路國厚岸ヨリ根室國根室ニ至ル鐵道」とも書かれています。こちらはこんな感じのルート。

池田町・利別から北見を経由、かなり遠回りして厚岸、そして根室に至ります。この2ルートを合わせると、釧路ー厚岸ー根室が繋がるのです。

ベタな表現ですが「日本じゃないような景色」の中を走ります。
美しき自然の中を走る
列車は交換待ちのため茶内駅でしばし停車。

花咲線区間は1917年に釧路ー浜厚岸駅(廃駅)の開業を皮切りに、4年かけて根室まで延伸。茶内駅は1919年に開業した駅です。

そしてまた自然の中へ。駅周辺以外は、人の気配が全く感じられません。

こちらは花咲線沿線にある、釧路町・厚岸町・浜中町という3つの自治体を合わせた人口推移。2020年の人口は33,500人となっています。総延長135.4kmの区間に、根室市を合わせても約6万人ほどしか住んでおらず、「単独では維持することが困難な線区」に位置付けています。

風光明媚な景色が連続する花咲線の中でも、別寒辺牛湿原は絶景スポットとして有名な場所。ラムサール条約にも登録されている湿原です。この時期、湿原の水たまりはもちろん凍り付いています。

湿原の景色から、こちらは一面が雪に覆われた厚岸湖。よく見ると、雪面には動物の足跡も付いています。

そして厚岸湾へ。厚岸湖と厚岸湾は繋がっており、こちらではかきの養殖が盛んです。厚岸という地名も、アイヌ語の「アッケシシ(かきのあるところ)」が由来という説もあります。
厚岸湖には川や湿原の栄養源が流れ込み、プランクトンも豊富で、魚や貝が育ちやすいそうです。 厚岸湾で大きく育ったかきは、冬場、人の手によって厚岸湖に移され、そこで栄養を蓄えています。

根室から釧路までは約2時間半。天気がよかったこともあり、車窓からの景色を存分に楽しむことが出来ました。
★動画 車窓のハイライト★
根室本線で帯広へ

釧路に戻ってきました。この日は帯広に泊まるので、列車を乗り換えて、根室本線をもう少し西へ向かいます。

駅のホワイトボードに、大雪の影響による運行状況が貼られていました。3日前に乗った宗谷本線は終日運休。道内の比較的都会を走る路線も、運行本数を減らしていました。

私が乗る帯広行き普通列車の前に来る、札幌行きの特急も遅延。電光掲示板によると、運転を見合わせている列車もあるようです。

昼食を調達するため、駅前の年中無休と書かれたセイコーマートにやって来ましたが、営業しておらず。昼食はセブンイレブンの菓子パンとなりました。

1901年開業の釧路駅。1917年の釧路ー浜厚岸間開業に伴い、この場所に移転し今に至ります。

釧路から白糠まで開業した後、根室本線は1903年に浦幌駅、1904年に利別駅、そして1905年に帯広駅まで延伸されました。

列車は定刻通り釧路を出発。出発してすぐに渡る新釧路川は凍っていました。

にししょろ、漢字では「西庶路」。庶路は「ショ・オロ(滝の所)」というアイヌ語が由来です。

時刻は15時半。相変わらず夕暮れは早いです。列車は北海道南東の縁を走っているので、このまま行くと襟裳岬へ着きますが、途中の厚内からは内陸へ向かいます。

18時、結局30分近く遅れて帯広に到着しました。

宿はじゃらんで見つけた、1泊素泊まり3600円のビジネスホテルです。

近くの別のホテルにある大浴場を無料で利用できるプランでした。

夕食はセイコーマートの100円パスタをゲット。今回の旅では、もはや定番の品となりました。これにて旅の7日目は終了です。
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今回はここまで。本日もありがとうございました。
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