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今回は「沖縄戦の戦跡を巡る旅」その2をお届けします。
★前回の記事は こちら ★
道の駅・かでなから嘉手納基地を見る
太平洋戦争時、米軍は日本本土を爆撃するための飛行場を必要としていました。
当時、沖縄本島と伊江島には日本軍の飛行場が8か所もあり、現在の沖縄の玄関口・那覇空港もそのひとつで、もともとは日本海軍の小禄飛行場(1933年完成)でした。米軍は沖縄本島上陸当日に北飛行場(読谷村)と中飛行場(嘉手納町)を、4月21日には「東洋一の規模」と言われた伊江島飛行場を占領しました。
こちらは読谷村の国道58号線沿いにある「北飛行場周辺無名戦没者の霊地」と「山吹の碑」。ここには、北飛行場へやって来た米軍に応戦し、犠牲になった方々が祀られています。当時の沖縄では、徴用・勤労奉仕という名目で「根こそぎ動員」体制がとられ、多くの住民が飛行場建設に駆り出されました。
戦後も米軍は北飛行場(読谷補助飛行場)を利用し、パラシュート降下演習などを行っていましたが、2006年に全面返還。しかし、現在も周辺には更地が多く、跡地利用はあまり進んでいないようです。
一方、米軍が沖縄本島上陸日に占領したもうひとつの飛行場「中飛行場」は、米軍の「嘉手納基地」として現在も活用されています。嘉手納基地を知るためにやって来たのは道の駅かでなです。
一般人がふらっと沖縄の米軍基地の中に入ることは出来ませんが、道の駅かでなの屋上にある展望台から、基地内の様子を見ることが出来ます。
こちらが展望台からの景色。タイミングが合えば、米軍の戦闘機が物凄い爆音を立てて離陸する様子を見ることが出来ます。
その様子を見るために、飛行機好きや軍事マニアが集まる場所でもあります。どうやら無線を拾うことも出来るようです。
こちらは沖縄と東京を結んだ線を半径とした円。この円には北朝鮮や中国も入ることから、戦後もアメリカは沖縄を軍事上重要な「太平洋の要石」に位置付け、日本全体にあるアメリカ軍専用施設の約70%を置いています。
1950年に朝鮮戦争が勃発すると、米軍は嘉手納飛行場を重要な拠点(=基地)として整備・拡張を始めました。約3,700mの滑走路を2本持つ「極東最大の空軍基地」が完成したのは1967年のこと。1960年代のベトナム戦争では、嘉手納基地から出撃したB52がベトナムへ爆撃を行いました。
沖縄県のホームページによると、現在の嘉手納基地は防空、反撃、空輸、支援、偵察、機体整備等の総合的な役割を担っているそうです。
米軍基地が82%を占める嘉手納町
嘉手納町は面積の82%を嘉手納基地が占めています。
嘉手納基地の面積は、日本一大きな空港・羽田空港の1.3倍にもなるのです。
こちらは沖縄本島を南北に結ぶ大動脈・国道58号線。嘉手納町~北谷町には、道の両側が米軍基地という区間もあります。
国道58号線を原付で走っていると、嘉手納基地からやって来たと思われる米軍のヘリコプターがやって来ました。沖縄周辺は米軍と自衛隊が日々警戒にあたっています。
こちらは嘉手納町と、隣接する読谷村・沖縄市・北谷町の人口推移。嘉手納町だけが減少傾向にあり、基地が何かしらの影響を与えていることは否定出来ないでしょう。
2020年の国勢調査によると、嘉手納町の人口は13,521人。医療・福祉、卸売業・小売業に従事している人が多いようです。
こちらの畑があるのはフェンスの向こう側、つまり米軍基地内なので、一般人は中に入ることが出来ません。ただ、農作業が出来る土地は非常に限られているため、こうした「黙認耕作地」もあるのです。また、人々が「御嶽」に祈りをする場合も、基地内への入場が認められる場合があります。
基地内には学校や図書館、野球場、ゴルフ場、映画館、スーパーマーケット等の施設がありますが、米軍関係者以外は利用することが出来ません。
沖縄のニュースなどで頻出する「基地問題」。飛行機の騒音はもちろん、安全面や攻撃のターゲットになりうる可能性など様々あります。今回のコロナでは「日本のルールが通用しない」という影響もありました。
こちらは2020年7月29日の嘉手納基地の入口。基地内はロックダウンしているというニュースがありましたが、実際には多くの車が出入りしていました。沖縄に住んでいても、米軍基地内の様子は「よく分からない」というのが実情です(ゆえに多くの人はそれほど関心も持っていない)。
道の駅かでなには、無料の資料館も併設されているので、嘉手納町や嘉手納基地については、ここで詳しく知ることが出来ま… 残念ながら、詳しく知ることは出来ません。沖縄の米軍基地については、情報が偏っていたりする場合が多いので、様々な角度から自分で勉強をするのがおすすめです。
道の駅の売店にはアメリカンなミリタリー関連のおもちゃも販売されています。道の駅かでなの口コミを見ていると、どうやら飛行機好きの子供にも人気があるスポットのようです。
トミカのような戦車と戦闘機鉛筆削り。アメリカンジョークのような商品ですが、きっとアメリカでは、子供向けにこうした戦闘機グッズが販売されているのでしょう。
基地周辺の様子をご紹介
米軍基地の中に入ることは出来ませんが、周辺でもアメリカンな雰囲気を体験することが出来ます。
こちらは日本ではあまり見られないタイプのバス。
北谷町にあるこちらの車屋さんは、値段がドル表記となっています。
コンビニの駐車場に米軍の車両が停車しているのは、沖縄ではよく見られる光景です。
米軍人等の福利厚生施設が集まる嘉手納マリーナ地区には、米軍が運営するレストランもあり、こちらは日本人観光客でも自由に利用することが出来ます。
米軍基地内を見学!
いつもは立ち入ることが出来ない米軍基地ですが、イベントなどで開放されることもあります。ここからはキャンプ・ハンセン(金武町)を訪れた時の写真から、基地内の様子をサクッとご紹介。
COMBAT(戦闘)やPISTOL(ピストル)など、看板には何だか物騒な単語が並んでいます。
そしてずらっと並んだ軍事車両。基地の外には入場を待つ沖縄県民の車の渋滞が出来ていました。皆さんのお目当ては「お買いもの」です。
支払いはカードやドルですが、普段は利用することが出来ない米軍基地内の施設で、ショッピングやお食事を楽しめます。
床屋さんは外で待つ人がいるほどの人気ぶり。ただ、ここには日本人の姿はありませんでした。米軍の方々は普段通り過ごしていると思われますが、そもそも基地内にどれだけの人がいるのかは明らかにされていません。
最後に公表された2011年のデータによると、沖縄の米軍基地には約26,000人の兵隊の方々いるようです。さらにその方々の家族も暮らしているので、少なくとも3万人はいるのでしょう。
夜の国道58号線では、たまに日本のパトカーとアメリカのパトカーが並んで、事故処理や職務質問、取り締まりなどを行っている光景も見られます。戦争から75年以上経った今も、アメリカは沖縄に大きな影響を及ぼしているのです。
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今回はここまで。本日もありがとうございました。
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