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今回は「2024年 鹿児島県の離島を巡る旅」その17をお届けします。
★前回の記事は こちら ★
奄美大島を徒歩&路線バスで観光
2024年3月14日。早朝の船で奄美大島・名瀬港に到着し、徒歩と路線バスを使って島を巡っています。
時刻は13時半。大島紬資料館を見学した後は、次の目的地・奄美パークへ。ここから約3km、歩いて40分ほどの道のりです。

その途中に「味の郷かさり」という直売所があったので寄り道。地元で獲れた野菜や手作りのお菓子、雑貨などが並ぶ中で、私が発見したのがこちら。

なんと奄美産コーヒー豆を100%使用したドリップコーヒーがありました。これまで国産コーヒーといえば、沖縄・小笠原・徳之島が中心でしたが、最近はその範囲が広がり、奄美大島や沖永良部島でもコーヒー栽培が行われているそうです。
■参考:1杯の国産コーヒーが出来るまで

お店近くの道路沿いには、果実を付けたコーヒーの木もありました。この木はポットで育てられていますが、ドリップコーヒーを販売している栄農園さんのインスタを確認すると、露地で栽培が行われています。

また、道路沿いにあったコーヒーの木のそばには、果実から取り出され、乾燥のために天日干しされているコーヒーの種(いわゆるコーヒー豆)もありました。

ドリップコーヒーの値段は記録を残し忘れてしまいましたが、たしか500円ほどだったと思います。味は国産コーヒーらしく、強い苦味はなく、どちらかといえばお茶のようにすっきりと飲みやすい風味でした。
■参考:国産コーヒーは美味しいのか
奄美パークを観光
こうした思いがけない発見があるのも、歩いて旅をする楽しみのひとつです。

14時、奄美パークに到着しました。こちらは2001年に鹿児島県が開業した観光施設で、もともとはこの場所に奄美空港があったそうです。

豊かな自然や多彩な文化・歴史をわかりやすく紹介する「奄美の郷」と、奄美の自然を生涯描き続けた日本画家・田中一村の作品を展示する「田中一村記念美術館」という2つの施設を中心に構成されており、無料エリアと有料エリアが設けられています。

まずは奄美の郷の無料エリアへ。奄美大島だけでなく、奄美群島の島々を紹介する展示となっています。

現在の奄美空港からも近く(約3km)、パーク内にバス停もあるので、初めて奄美を訪れる人は、まずここで島々の概要を知るといいかもしれません。

こちらはイベント広場の横に建つ「あまじいの家」。奄美大島南部から移築された古民家が展示されています。かつての奄美の家は茅葺き屋根で、周囲をサンゴ石の石垣が囲み、玄関はなく縁側から出入りしていました。与路島や喜界島などにも同様の古民家が残りますが、現在はさすがに茅葺き屋根ではありません。
■参考:与路島に残る昔ながらの集落

無料エリアだけでは物足りず、有料エリア(入館料310円)も見学しました。ここでは奄美の人々の暮らしぶりが、「海の道」「テーマウォール」「シマの道」「森の道」の4つのテーマごとに展示されています。

こちらは「海の道」。サンゴ礁の海を本物の魚が泳いでいるように見えますが、この魚は動きません。全て模型です。

「島の道」で木の実を加工しているおばぁ達も模型。

「森の道」は本物の植物と模型が混在していると思われます。模型はリアルですが、説明書きが少ないので、結局よく分からないまま有料エリアは終了。奄美のことを知るなら、奄美博物館の方がおすすめです。
■参考:奄美博物館を見学

こちらの建物は日本画家・田中一村の記念美術館。1908年に栃木県で生まれた田中氏は、奄美の自然に魅せられて奄美大島へ移住し、亜熱帯の植物や魚などを題材に日本画の新境地を切り開いたことで知られています。今回は見学しませんでした。

こちらのスペースには、奄美群島14市町村から、それぞれ代表する樹木が提供されているそうです。

そしてこちらが奄美パークの目玉。高さ約30mの展望台です。入場料は無料。エレベーターで上まで移動することが出来ます。

展望台からの景色。サンゴ礁の上に建てられた現在の奄美空港と、うっすら喜界島(写真右)も見えています。1964年の供用開始当初、空港は奄美パークの場所に位置していました。しかし、航空輸送需要の増大や大量高速輸送時代に対応できず、滑走路の延長が求められるようになります。用地確保が難航したため、現在地に新空港を建設することが決定され、1988年より供用が開始されました。

展望台からは360℃を見渡すことが出来ます。空港の反対側は世界自然遺産を感じさせる緑の景色です。
黒糖焼酎の試飲&工場見学
奄美パークには30分ほど滞在。ここからは宿がある名瀬市街地方面に戻ります。
この日最後に観光するのは奄美大島酒造。黒糖焼酎の製造工場を見学します。

15時前に奄美パークからバスに乗車。「愛寿園前」というバス停まで移動します。

バス停からは5分ほど歩いて到着。奄美大島酒造では工場見学ツアーが1日3回(10時・14時・16時)開催されています。料金はかかりません。

16時のツアーまで少々時間があったので、工場に併設されている売店へ。なんと黒糖焼酎を無料で試飲することが出来ます。

種類が多いので、試飲というよりまさに飲み比べ。レンタカーではできない、徒歩とバスで巡る旅ならではの楽しみ方です。
■参考:奄美大島をレンタカーで観光

16時、ここで待っていれば担当の方が迎えに来てくれるとのことでしたが、時間になっても現れず… 入口にあったインターホンを押すと、スタッフの方が迎えに来てくれました。今回の参加者は私ひとりです。

奄美の島々で造られる黒糖焼酎。主原料はもちろん黒糖で、まろやかな風味が特徴とされています。江戸時代から第二次世界大戦以前までは沖縄と同様、奄美群島でも泡盛を中心にお酒が製造されていたそうです。
■参考:1

江戸時代、薩摩藩は奄美の人々に黒糖の生産を強制し、特産品として支配しました。そのため、島民が自由に黒糖焼酎を造ることはできず、鍋に残った黒糖の洗い汁を発酵させていたという説もあります。実際には、琉球の泡盛だけでなく、サツマイモやソテツの実などを使った焼酎造りも行われていたそうです。
■参考:2

戦時中から戦後にかけて米不足が深刻化すると、米を原料とする泡盛の製造が困難になりました。さらに戦後、米軍統治下で黒糖が移出規制を受けたため、島の人々は行き場を失った黒糖を原料に酒造りをスタート。こうして黒糖酒が誕生しました。

一方で、黒糖酒の起源はインドやタイにあり、地域によって原料は異なるものの、ヤシの実やサトウキビ(黒糖)、米などを原料とした蒸留酒が造られてきました。こうした製法が約500年前に沖縄へ伝わり、さらに奄美へと伝来。その後、現地で独自の改良や工夫が重ねられ、現在の黒糖焼酎へと発展したという説もあります。
■参考:3

1953年に奄美大島が本土復帰を果たす際、黒糖酒は黒糖を原料としていたため、日本の酒税法では洋酒(スピリッツ=ラム酒)に分類され、高い税率が課されるおそれがありました。そこで、島民の強い要望を受け、政府は地域振興策の一環として、「米麹を使用することを条件に、奄美群島に限って黒糖焼酎の製造を認める」という特例を設けます。

この措置により、黒糖酒は「本格焼酎」として認められ、安い酒税が適用されることになりました。こうして、現在の「奄美でしか造れない黒糖焼酎」の制度が生まれたのです。奄美大島酒造の創業も1970年とそこまで古くはありません。

工場見学は20分ほどで終了。再びバスに乗り、この日は名瀬港近くの宿で1泊。翌日は船で沖縄へと移動します。
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今回はここまで。本日もありがとうございました。
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