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今回は「2018年 利島旅行記」をお届けします。
さるびあ丸日帰り 利島上陸
2018年7月20日金曜日、仕事終わりに東京・竹芝桟橋へやって来ました。23時出港の大型客船・さるびあ丸に乗船し、利島へ向かいます。
伊豆諸島の中で、御蔵島・青ヶ島に次いで船の就航率が低い利島。天気が良くても、風や波があると利島には接岸することが出来ません。果たして今回は、利島に上陸することが出来るでしょうか。
■ 参考:太平洋が荒れやすい理由
翌日から海の日の3連休ということで、竹芝桟橋はこれまで見たことがないほどの大混雑。
窓口では乗船券と一緒に、レジャーシートを渡されました。また乗船券には「2等フリー乗船券」と書かれています。フリーとはいったいどういうことでしょう…
こちらは翌朝に撮ったデッキの写真。あちこちで人が寝ています。2等フリー乗船券とは「船に乗ってもいいけど席はないよ」というもの。つまり、レジャーシートには「どっか空いているスペース(=フリー)で寝てね」という意味が込められていたのです。
デッキはもちろん、船内の通路やトイレの前まで、皆さんあらゆる場所にレジャーシートを引いて横になっています。その様子は、教科書などで聞く「奴隷船」を思わせる光景です。
こちらは、私が受付の時にもらったレジャーシートを引いて、この場所で寝ようとしている様子。とりあえず寝る場所を確保してから、船内受付に向かい、2等和室のキャンセル待ちを申し込みました。
当日キャンセルなどがあった場合、キャンセル待ちを申し込んだ人から先着順に、無料で二等和室へ移動出来るのです。結果として、私は二等和室を確保し、狭い場所で寝ることを回避したのでした。
日帰り滞在 宮塚山の山頂へ
利島の周囲は約7.7km。伊豆諸島の中で一番面積が小さい島です。宮塚山(標高507m)がそのまま1つの島となっています。ちなみに、利島の隣にある新島の最高峰も「宮塚山」という名前です。
伊豆諸島の島々は、江戸時代から明治時代にかけて罪人が送られる「流刑の地」でしたが、利島に送られた罪人の数は少なかったそうです。これも欠航率の高さが影響していると思われます。幸いこの日は海も風も穏やかで、朝6時半過ぎに利島へ上陸することが出来ました。
利島出港後、さるびあ丸は新島→式根島→神津島の順に寄港。神津島で折り返しの東京行きとなり、この日の12時前に再び利島へやって来ます。
利島で宿の予約はしていませんでした。キャンプや野宿はNGなので、何としても帰りの船に乗る必要があります。利島での滞在時間は約5時間です。
短い時間ですが、宮塚山の山頂を目指します。港から登山口までは、島に住んでいる知人に車で送っていただきました。
宮塚山の登山口は3つあり、今回は南登山口から入ります。山頂までの距離は約1kmです。
登山道はこんな感じ。島に着いたときは晴れていましたが、山中は暗く霧(雲)がかかっていました。普通の服装でも歩けますが、あまり人が入ってないようで、草を掻き分けながら進みます。
クマやイノシシはもちろん、虫も少ないのはありがたいです。
登山道の途中にあったこちらは「スダジイ」。島の指定保存樹木となっています。宮塚山は活火山ですが、有志以来噴火の記録がないことから、こうした巨大な樹木が所々に残されています。
登山口から30分ほどで、標高507mの山頂に到着しました。しかし、ここからは景色が何も見えず。近くに木組みの展望台があったので、そちらで少し休憩します。
利島にツバキが多い歴史的理由
眼下に見えているのが港と島唯一の集落。大島寄りに立地しており、古くから船の接岸に都合がいい場所だったことが伺えます。一方で、桟橋が海へ突き出るようにして作られているため、波の影響を受けやすく、船の欠航率が高くなるのです。
利島ひとつで「利島村」。 縄文時代から人が住んでいたそうです。2020年国勢調査における村の人口は全国で5番目に少ない約300人。面積も全国で5番目に小さく、本当に小さな島なのです。
こちらは利島の人口ピラミッド。2000年と2020年を比較すると、全体の人口は増加しており、特に40代の割合が高いです。利島では20~40代の移住者が約8割を占めていると言われています。
利島村立利島小中学校もあります。1877年開校の歴史ある学校で、令和4年度の生徒数は小中合わせて31名。つまり、現在の村民のおよそ10%がこの学校に通っている(在校生)ということです。
島の産業を見ると、最も従事者が多いのは建設業。そして注目すべきは農業です。平地がほとんどない島で、どのような農業が行われているのでしょうか。
利島は日本有数の椿油生産地。島の8割がヤブツバキに覆われており、その本数は20万本にもなるそうです。島内に椿油製油センターがあり、収穫から精油、販売まで全て行われています。
ツバキはもともと利島に自生していた植物ではありません。江戸時代、利島では米で年貢を納めることが出来なかったため、ツバキ栽培が始まりました。利島の椿油は、上等な食用油として江戸の人々に親しまれたそうです。
昭和時代に航路が整備され、外から食料が入ってくるようになると、自給用の作物を育てるのに使っていた畑もツバキに植え替えられ、椿油の生産量が増加。山からツバキを運ぶため、島内の道路整備も進んだそうです。
若い移住者が多い一方で、椿農家を営む方の平均年齢は70歳を超えており、島を支える基幹産業の今後が懸念されています。
島には民宿や商店、食堂がそれぞれ数軒。観光の目玉は勤労福祉会館にある「レーンが2つだけのボウリング場」です。今回は訪れることが出来ませんでしたが、巷では「日本一小さいボウリング場」と言われています。
ということで、宮塚山の山頂から歩いて港へ戻ってきました。さるびあ丸の背後に見えているのは伊豆半島の山々。利島へのアクセス方法は東海汽船だけでなく、下田との間を往復する神新汽船と、大島からのヘリもあります。
さらば利島。短い時間でしたが、しっかり島を歩くことが出来ました。この日の午後は伊豆大島へ渡ります。
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今回はここまで。本日もありがとうございました。
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