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今回は「2021年 津堅島旅行記」をお届けします。
津堅島上陸
2021年11月3日、那覇空港から車で1時間以上走った場所にある、うるま市の平屋敷港へやって来ました。
平屋敷港からは津堅島へ渡る船が出ています。
乗船券ゲット!運賃は往復1,240円とそれほど高くありません。
私が乗船する船は11時出港の「フェリーくがに」。ちなみに「くがに」を漢字で書くと【黄金】。金色という意味ではなく、沖縄の方言で「大切なものが輝いている様子」という意味になります。
沖縄本島と津堅島の間には、フェリーと高速船が1日数往復運航されているので、観光でも訪れやすい島です。津堅島までの所要時間はフェリーが1時間。高速船の場合は片道料金が150円高くなる代わりに、30分で行くことが出来ます。
■ 参考:津堅島行きの船について
港からも津堅島が見えています…と思いましたが、こちらは「浮原島」という無人島。自衛隊の演習場になっている島のようです。
フェリーくがにの船内はこんな感じ。座席の数はそれほど多くありません。
天気が良かったので、デッキで過ごすことにします。
出港して間もなく、海の透明度が変わりました。
船は水深が浅い場所を比較的ゆっくりと航行します。
揺れもほとんどなく、あっという間に津堅島が近づいてきました。津堅島は周囲約8km、最高標高38.8mの小さくて平べったい島です。
沖縄の島々は、サンゴ礁で出来た標高10m~200mの「低島」と、古期岩類や火山岩類から出来た標高100m~1,000mの「高島」のいずれかに分類されます。津堅島や船の進行方向右手に見えた久高島(南城市)はどちらも「低島」です。
■ 参考:2017年 久高島旅行記
こちらは島に接岸する直前の海。本島周辺の海も綺麗ですが、少し離れるだけでより美しい海を見ることが出来ます。
津堅島に上陸しました。今回は帰りの船の時間まで、約4時間で島を歩いて1周します。
■ 参考:レンタサイクルもあるようです
日帰り 島を歩いて観光
港周辺にはナンバーの付いていない車がちらほら走っており、さっそく「島らしい」光景を見ることが出来ました。
なぜか皆さん車の後ろのドアを開けて走っています。人口約400人の津堅島には常勤の警察の方がおらず、信号もありません。
港から集落に入っていく道の入口には「シーサー」が設置されていました。こちらは観光客向けの飾りではなく、集落を守る魔除けとしての役割を果たしています。
道端でコンテナが28万円で販売されていました。コンテナの相場が分かりませんが、「早い者勝ち」ということは、きっとお買い得なのでしょう。
津堅島はうるま市に属する島です。集落ではうるま市のFREE Wi-Fiが飛んでいますが、繋がるかどうかは分かりません。
島には幼稚園と小中学校があります。約600名が通っていた時代もあったそうですが、現在の生徒数は小中学校合わせて10数名程度です。
こちらは津堅島の5歳別人口。島民のおよそ半数が65歳以上の高齢者となっています。人口が増加傾向の沖縄県ですが、増えているのは一部の地域だけ。ほとんどの場所で人口減少・高齢化が進んでいるのが実情です。
■ 参考:沖縄の人口について
集落には「戦前学校敷地跡」と書かれた石碑がありました。一面荒れ地になっており、その面影は全く感じられません。
集落で見つけた空き家。赤瓦の古民家の屋根に生えているのはドラゴンフルーツです。人々は島の南西部、港の周辺に暮らしています。
沖縄本島から近いにも関わらず、港へのアクセスが悪いためか、島を訪れる観光客は少なめ。島内も観光地化されておらず、のどかな雰囲気が感じられます。
集落から少し離れた場所にあるのが、うるま市観光物産協会で紹介されている津堅島唯一の宿「神谷荘」。ちなみに、定期船を運航しているのも、この宿を運営している「有限会社 神谷観光」です。
神谷荘の横から浜辺(トィマイ浜)に出ました。この日は潮が引いていたため、トゥマイ浜から島の北部にあるヒガ岬やヤジリ浜まで、砂浜を歩いて行くことが出来ました。
綺麗な海に囲まれた島
私の他に砂浜を歩いている人や海水浴をしている人などはいません。この綺麗な海の絶景を独り占め。ちょうど沖縄本島へ折り返すフェリーくがにが沖合を通過していきました。
地図やパンフレットなどにも載っておらず、もちろん歩く道が整備されているわけでもないので、本格的な探検気分です。
ただ、砂浜を歩くのはなかなか疲れるので、サンダルよりも靴がおすすめ。私もこの時は運動靴で歩いていました。
赤犬子生誕の地
琉球石灰岩で出来た大きな岩がゴロゴロと転がるエリアに到着。
海に向いている謎の穴がありました。案内の看板などはありませんが、戦争の時に使われたものでしょうか。
米軍の沖縄本島上陸を阻止するための要塞として、1941年から陣地構築が進められた津堅島。1945年4月、米軍は3回にわたる上陸作戦を実施し、津堅島を占領しました。砂浜に埋もれたこちらの鉄の筒も戦時中のものだったりするのでしょうか。
■ 参考:沖縄戦について
シヌクガマと書かれた石碑がありました。ガマは沖縄の方言で「鍾乳洞」のことです。
シヌクガマは赤犬子生誕の地。こちらのガマで生まれた「赤犬子」は、琉球王朝第二尚氏・尚真王の時代に活躍したとされる伝説上の人物。琉球の三線音楽の始祖と言われています。
■ 参考:琉球王国の成り立ちについて
集落にもシヌクガマへ向かうための案内があり、津堅島の観光スポットのひとつとなっていることが伺えます。
潮が引いたときにだけ出現する陸地へ
津堅島の砂浜を歩いていると、打ち寄せる波が非常に小さいことに気が付くはず。
これは島の周囲を囲む「サンゴの壁(サンゴ礁)」に波が打ち消されているから。いわば、サンゴが自然の防波堤となっているのです。沖合では波がサンゴの壁にぶつかり、白波が立っています。
潮が引いていた影響で、普段は見られないと思われる陸地が出現していました。
せっかくなので、靴を脱いで海を渡り上陸。砂浜からたった数m離れただけですが、四方を海に囲まれるとまた違った景色が広がります。
潮が満ちてくると大変なので早々に退散。島の北側へやって来ると、打ち上げられた軽石の量が多くなりました。
砂浜を1時間以上歩き、ここがゴールのヤジリ浜です。この階段から島の道路へ戻ります。
津堅島がニンジンの島である理由
現在地は地図の左。それにしても「最短経路を選びなさい」という数学の設問を思い出させるような、綺麗な碁盤の目の地図です。1975年に行われた土地改良事業によって、津堅島では区画整理 と農地の集団化が図られました。
■ 参考:1
そして、こうした畑で行われているのがニンジン栽培。津堅島の別名は「キャロット愛ランド」。沖縄の離島では珍しく、サトウキビの栽培は行われていません。
戦前の津堅島は沖縄県有数のダイコン産地で、ニンジンは自給的な作物のひとつだったそうです。 戦後に米軍向けの野菜産地として指定されたことをきっかけに、ニンジンを含むさまざまな野菜が生産されるようになりました。
様々な野菜を生産する過程で、間引きしたニンジン(=通常は捨ててしまうニンジン)は島外の産地商人(産地仲介人)が買い取り、沖縄県内向けに販売されていたそうです。これにより、津堅島の生産者はニンジンが換金作物となることを認識。島内でのニンジン生産が本格化しました。
沖縄県の本土復帰と同時に、津堅島は米軍向けの野菜産地としての指定を解除されましたが、津堅 島におけるニンジン生産は1970年代に急速に発展。1981年に収穫量はピークを迎え、農協による一元集出荷体制も確立しました。
1980年代から1990年代半ばまで、ニンジンの生産量は安定的に推移しましたが、1996年にニンジン価格が低迷し、1997年には害虫が大発生。同時期にモズクの価格が高騰したため、島内の労働力がニンジン生産からモズク養殖へ移りました。
1990年代後半以降のニンジン生産量は減少傾向が続いています。ニンジン生産には「水」の問題もあるようです。津堅島には川や湖沼がありません。そもそも設備が十分でない上に、これまで使用してきた設備も老朽化。天水に依存した農業が行われているため、雨が少なければ収入が減るという状況のようです。
ちょうど新しいため池が作られていました。ちなみに、水道水は沖縄本島から水道管が引かれています。
畑沿いに水のホースが張り巡らされているだけでなく…
貯水タンクに水を溜めて、トラックで運ぶ光景も見られました。
観光名所 ニンジン展望台
そんな津堅島で一番の観光名所と言えば、ニンジン展望台です。
表面がだいぶ剥げてしまっていますが、地面にニンジンが突き刺さり、その上の部分が展望台として整備されています。
展望台に置かれているベンチもニンジン。
オリオンビールのケースもベンチ替わりとして置かれていました。
展望台からの景色がこちら。沖縄本島と津堅島との間に広がる、美しい海の景色を見ることが出来ます。
さらば津堅島
島を一通り歩いて港(キャロット愛ランドマリンターミナル)へ戻ってきました。船の出港までまだ時間があるので、最後は港周辺を散策します。
島の公民館。門柱にはシーサーではなく、オオタニワタリが埋め込まれていました。
アサトストアーは商店でしょうか。営業している気配はありません。そのお隣の居酒屋さんは、比較的新しい雰囲気ですが、コロナの影響で休業となっていました。
こちらはカラオケ屋さん。
どうやら神谷荘以外にも宿はあるようです。なお、こうした小さな島の民宿は、観光客ではなく工事関係の方が長期滞在している場合が多く、なかなか予約が取れません。ご予約はお早めがおすすめです。
どこかの飼い犬だと思いますが、首輪やリードは付いていません。きっとセルフで散歩をしているのでしょう。こちらに見向きもせず、道路の真ん中でくつろいでいます。
ガードレールにはモズク漁で使う網が干されており、そもそも本当にガードレールなのかが分からない状態となっています(笑)
そして、帰りのフェリーがやってきました。
今回は11時半頃に到着し、15時のフェリーで帰るという短い滞在時間。17時半の高速船で帰ることも出来ますが、「もう十分かな」と思うくらい、小さくてのどかな島でした。
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今回はここまで。本日もありがとうございました。
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