北大東島とリン鉱採掘。遺跡から開拓の歴史を知る|2017年旅行記その20

旅の思い出

ブログをご覧いただきありがとうございます。

今回は「九州・沖縄の島を巡る旅(2017年)」旅行記その20をお届けします。

★その19はこちら★

北大東島上陸!二六荘にチェックイン

南大東島を出港して約1時間で北大東島に上陸しました。

港から歩いて宿にチェックイン。ちなみに北大東島に宿は2軒しかありません。

  • 素泊まり専門の二六荘
  • ちょっとリッチなハマユウ荘

私が泊まるのはもちろん二六荘。1泊3600円です。

宿の前で作業をしていたおじぃに「さとうきび食べたことあるか」と話しかけられました。さとうきびにかじりつくのは初めてです。

硬いので、奥歯を使ってかじると、甘い汁がじわっと出てきます。これぞ沖縄らしい体験。

夕陽をみるために港へ戻ってきました。

二六荘から港までは歩いて10分ほど。

フェリーだいとうは港から離れ、沖合に停泊しています。北大東島をフェリーが出港するのは翌日14時。私もその船に乗って那覇へと戻ります。

北大東島燐鉱山遺跡

北大東島の玄関口「西港」には、崩れかけたレンガ造りの建物があります。

北大東島燐鉱山遺跡

南大東島と同様、北大東島もまた玉置半右兵衛によって開拓されや島です。

★参考:玉置商会と南大東島★

北大東島とリン鉱採掘

玉置商会は、1910年から北大東島でのリン鉱採掘事業を開始しました。

しかし、技術者不足により事業を軌道に乗せることが出来ず中断。玉置商会の経営にも陰りが見え始め、1916年、南北大東島の経営権は東洋製糖という会社に移されました

リン鉱採掘事業が中断になり、北大東島の産業はサトウキビ栽培へと移行されていましたが、第一次世界大戦により、日本への輸入が途絶えたリン鉱石の価格が高騰。

1919年から、 東洋製糖はこの施設でリン鉱採掘を再開させたのでした。

北大東島のリンは化学肥料や火薬、戦闘機の機体を作るアルミの原料として使われ、第二次世界大戦中に産出量はピークを迎えます。

ただ、小さな島なので、リンはあっという間に掘り尽くされ、1950年には閉山となりました。

採掘・乾燥・運搬・貯蔵・積出に至るリンの生産施設がこれほど大規模に残るのは、国内でも唯一のようです。

そんな歴史に思いを馳せると、夕陽に照らされた廃墟もエモいです。

宿へと戻ります。夕食はこの日もカップ麺です。

海へ続く線路の跡

旅の10日目。

リン鉱山遺跡は改めて見ても立派です。

柵などはないので、近くで見ることも出来ます。

岸壁をよく見ると線路の跡が残されています。

きっとここから積み出しなどが行われていたのでしょう。

北大東島開拓100周年記念碑

北大東島は1903年に開拓が始まった、まだ歴史が浅い島。島の開拓を支えたリン鉱山遺跡という産物を、今も見ることが出来るのは、とても貴重なことです。

この日は船の出港まで、歩いて島を回ります。

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今回はここまで。本日もありがとうございました。

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