【さんふらわあと別府】船から温泉地へ!歴史を辿る歩き旅~紅(くれない)の復活|2021 旅行記3

御船印の旅

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今回は「御船印をゲットする旅(さんふらわあ編)」その3をお届けします。

★前回の記事★

明石海峡大橋と瀬戸大橋を通過

大阪南港を19時に出港する、さんふらわあ あいぼりに乗船。大分・別府まで12時間の船旅です。

デッキは風が強かったので、出港直後から船内の共有スペースで過ごしていました。

出港から1時間、船は神戸を通過し、本州と淡路島を結ぶ明石海峡大橋の手前までやって来ました。

明石海峡大橋は全長3911m、世界最長の吊橋です。ネットでは「夜間ライトアップが美しい」と紹介され、『パールブリッジ』の愛称も付いていますが、この日は真っ暗。写真を撮るためにデッキへ出てくる人も全くいません。

ちなみに、橋の麓できらめくのは神戸市の明かり。「明石」という名前が付いていますが、本州側の起点は神戸市となっています。

それからしばらくして、風が収まったので、デッキで夕食(沖縄から持参したカップ麺)を食べることにしました。

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この日は新月で天気がよかったため、星空を期待していましたが見えず。都市に近いことや、安全確保のため、デッキが隅々まで明るく照らされていることが影響していると思われます。

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ただ、船内には星空案内の張り紙があ、船会社も星空をおすすめしている様子が伺えます。

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こちらの【デッキで星を見られるお客様へのお願い】という注意書きもありました。業務的な(文字だけ)見た目に反して、内容は「流星が見えないからといってすぐに諦めてしまわずに」「寒さ対策をお願いします」「風下での観測がおすすめ」など、なかなか粋なお願いが書かれていました

22時を過ぎ、船内へ戻ると、すでに消灯となっていました。しかしまだ寝るわけには行きません。

船は小豆島の南を通過し、続いては「瀬戸大橋」の下を通過します。

これまで真っ暗だった船の進行方向左手に、明るい街並みが見えてきました。こちらは香川県高松市です。

23時半、瀬戸大橋の下を通過しました。

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さんふらわあ あいぼりは、この先で「来島海峡大橋」の下も通過しますが、翌朝7時には別府へ到着するため、早起きに備えて寝ることにしました。

夜の瀬戸内海から朝の別府港に到着

目が覚めたのは朝5時半

まだ大丈夫そうです。二度寝します。船も全く揺れないのでよく寝れました。

1時間後、デッキへ出ると別府の街並みが近づいていました。

背後に鶴見岳由布岳がそびえ、斜面に沿って家々が並んでいる様子が分かります。別府といえば温泉です。古くから人々に親しまれてきたという、別府温泉の湯けむりはまだ見えません

さんふらわあ あいぼりは、定刻の7時に別府観光港に入港しました。

別府市のホームページによると、別府温泉郷は源泉数と湧出量で日本一!その中でも代表的な8つの温泉を「別府八湯」と呼ぶそうです。

港にさんふらわあ歴史館があったので見学。ここではさんふわらわの歴史と、これまでの船の模型を見ることが出来ます。

Wikipediaによると、さんふらわあの歴史の始まりは沖縄~鹿児島間を運航しているマリックスライン。マリックスラインはかつて『照国郵船』という会社でした。

1970年、照国郵船の子会社として日本高速フェリーが設立されます。そして、日本高速フェリーによって、1972年に建造されたのが「さんふらわあ」です。当初は名古屋~高知~鹿児島航路の運航を行っていました。

照国郵船の貨客船「はいびすかす(鹿児島~奄美航路)」に書かれていたハイビスカスの花のペイントが好評だったことから、現在のさんふらわあには「太陽マーク」が描かれています。

さんふらわあ」の名前が付く船は他にも、神戸⇔大分、大洗⇔苫小牧で運航されています。大阪・神戸⇔九州のさんふらわあは「フェリーさんふらわあ」、大洗⇔苫小牧は「商船三井フェリー」と、船を運航する会社が異なりますが、どちらも商船三井の子会社で、その背景には会社の倒産や売却などの複雑な経緯があります。

別府温泉と船の歴史

別府温泉を歩いて観光する

別府では半日時間があるので、歩いて温泉郷を観光します。

別府観光港からまずは3kmほど歩いて「湯けむり展望台」へ。

こちらは九州横断道路。観光開発を目的として1964年に開通し、別府港からもうひとつ温泉地・湯布院、熊本の阿蘇などを経由して、長崎市まで続いています。

源泉数・湧出量ともに、別府に次いで全国第2位の湯布院温泉。大正時代には由(湯)布院・塚原を加えて「別府十湯」と呼ばれていましたが、1924年に別府市の市政がしかれたタイミングでこの2湯が外れ、「別府八湯」となりました。湯布院が独立して発展したのは、九州横断道路の開通が大きく貢献しているようです。

道沿いにさっそく「」の看板がありました。こちらは『わくわく温泉 かっぱの湯』。平日は昼12時 ~ 翌朝9時まで、土日は24時間営業とのことなので、船から降りて朝から利用することも出来ます。

こちらは別府湾に注ぐ春木川。温泉が流れ込んでいる影響で、年間を通じて水温が高く、野生化した熱帯魚・グッピーが生息していることで知られています。

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道沿いのこうしたパイプからも湯気が出ています。

熱帯果樹・バナナもありました。沖縄では「道端にバナナ」は普通のことですが、大分でバナナは珍しいはず。推測ですが、別府には日本最大級の地熱発電所もあり、年中地面が温かい場所があるのかもしれません。

ということで、港から歩くこと約45分、湯けむり展望台に到着しました。

21世紀に残したい日本の風景 湯けむり展望台

ここからの景色は、2001年にNHKが全国から公募した『21世紀に残したい日本の風景』で2位に選ばれています(ちなみに1位は富士山、3位は函館)。街からわんさかと湯煙が立ち上る様子を期待していましたが、意外と普通です。

カメラをズームすると分かりました。天然温泉なので、煙の勢いも日によって変わるはず。この日は煙が少なかったのかもしれません。夜になると湯煙がライトアップされ、その夜景の様子は「日本夜景遺産」にも認定されています。

ここからまた歩いて、湯煙が立っているこの景色の中へと入っていきます。

続いて向かうのは、30分ほど歩いた先にある「べっぷ地獄めぐり」。ここには7つの源泉があり、お手軽に見学出来るよう観光地化されています。

湯煙が近づいてきました。こちらは「鉄輪温泉」の街並み。別府温泉郷の源泉の約半数が、鉄輪に集中しています。

別府の温泉と船の歴史

別府温泉郷の歴史は、温泉地に長く滞在して、病気を治したり、体調を整えたりする『湯治』が始まりです。895年(=平安時代)に醍醐天皇が、1044年に後冷泉天皇が病気療養のため別府八湯のひとつ「紫石温泉」に湯治したと言われています。温泉の整備は、そうした古い時代から進められていました。

べっぷ地獄めぐりがあるのは「鬼山地区」

1700年代後半(=江戸時代)になると、江戸や大阪など、都市に居住していた職人や商人らの文化(町人文化)から温泉番付が登場します。番付は効能の高さを元にランク付けされ、別府温泉と浜脇温泉は上位常連だったそうです。

べっぷ地獄めぐり その1 かまど地獄

やがて、それぞれの温泉周辺に温泉街が形成され、庶民の湯治が一般化。瀬戸内海方面から、食料や生活用品を積み、船を宿を代わりにして湯治を行う「湯治船」もやって来ました。春の別府港には、多くの湯治船が係留されていたそうで、湯治船は春の季語にもなっています

べっぷ地獄めぐり その2 鬼山地獄

明治時代初期、別府が温泉都市として発展することを期待した政治家・松方正義の発案により、別府港の整備が行われ、1871年に完成。そして1873年、大阪府管轄の官製組織で、貿易・工業・商社など、様々な事業を行っていた大阪開商社の西洋型木造蒸気船「益丸」が就航しました。

ここからも湯気が出ている

今回私はさんふらわあ あいぼりで、大阪から12時間かけてやって来ましたが、益丸就航当時は30日かかっていたそうです。

100年の時を経て 瀬戸内海に紅(くれない)が復活

「当敷地内」ではなく「当地獄敷地内

1877年の2月から9月にかけて、南九州を戦場とした西南戦争(西郷隆盛とその仲間たち vs 明治政府)が勃発すると、九州方面への輸送量が飛躍的に増加(輸送需要の高まり)しました。その結果、瀬戸内海に小規模船主が乱立(みんな稼ぎたい)し、競争激化により共倒れしかねない状況(恐らく輸送を安く請け負っていた)となったそうです。

べっぷ地獄めぐり その3 白池地獄

そこで1884年、大阪の中小船主55名が合同で大阪商船会社を設立。当時は本州から海を越える鉄道や道路が全通していなかったため、船が本州と四国・九州を繋ぐ物流の主軸を担うこととなり、一部航路には政府も補助金出していました。

山地獄は温泉ではなく動物園

そして1912年、阪神~別府航路に大阪商船の貨客船「紅丸」が就航。この船が大阪・神戸と別府温泉結びつける大きなきっかけを作り、現在のフェリーさんふらわあへと襷が繋がれています。

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今回私が乗船したさんふらわあ あいぼりは、25年の運航を終え、2023年1月12日に引退しました。新造船の名前は「さんふらわあ くれない」。そう、紅丸就航から約100年の時を経て、瀬戸内海と別府に紅(くれない)が復活します。

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今回はここまで。本日もありがとうございました。

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