ブログをご覧いただきありがとうございます。
今回は「2022 沖縄・阿嘉島旅行記」その2をお届けします。
★前回の記事は こちら ★
橋で繋がった島々を歩く
2022年5月28日、那覇・泊港からフェリーざまみに乗船し、阿嘉島(沖縄県座間味村)へ上陸しました。
こちらは港にある座間味村役場の出張所。看板をよく見ると「阿嘉・慶留間出張所」と書かれています。
慶留間は阿嘉島と橋で繋がった島。さらに慶留間島は外地島と橋で繋がっています。今回は阿嘉島の港から、外地島にある慶良間空港まで歩くことにしました。距離は約5km、2時間程度で往復出来るはずです。
まずは1998年に完成した阿嘉大橋を渡ります。
こちらが阿嘉大橋からの景色。天気は悪いですが、沖縄らしいコバルトブルー(ケラマブルー)の海が広がりました。
船が橋の下を通過出来るように、海底が深く掘られている場所は青色が濃いです。
沖縄には海を渡る橋がいくつかありますが、阿嘉大橋から見る海はその中でも屈指の美しさ。繰り返しになりますが、雨が降っていてもこのブルーを見ることが出来るのです。
■ 参考:池間大橋から見る宮古ブルー
阿嘉大橋を渡り慶留間島へ上陸しました。
阿嘉島から慶留間島上陸
歩いている人は誰もいません。阿嘉島でレンタサイクルを借りることも出来ますが、この日は自転車で走っている人もいませんでした。
岩肌が迫っています。慶留間島の最高点は157m。海沿いにしか道路が無いため、アップダウンはほとんどなく、歩くのはそこまでハードではありません。
島の南東にある集落が見えてきました。
こちらは慶留間島のマンホール。ケラマジカ(下半分)と一緒に古民家(上半分)が描かれています。
「高良家」へやって来ました。琉球王府時代に船頭職を勤めた旧家で、戦前からの状態が残されていることから国指定の文化財に指定されています。
建設された年ははっきりしていませんが、時期は明治中頃(19世紀後半)とされています。ということは、慶留間島には明治時代から人が住んでいたということです。
慶留間島の人口と産業
2020年の国勢調査によると、慶留間島の人口は64人。産業構成を見ると、働いている人が28人で、そのうちの18人が「教育、学習支援業」に従事しています。
その背景にあるのは慶留間小中学校です。創立は1915年(大正時代)。100年以上の歴史があり、2021年度の生徒数は小中合わせて10人。国勢調査の「教育、学習支援業 18名」はこの学校の先生ということです。
続いては外地島へ。1989年に完成した慶留間橋を渡ります。
こちらが橋の上からの景色。海沿いに位置する慶留間小中学校は画になります。ちなみに、慶留間島で働いている28人のうち18人が教育関係者ですが、5人は公務員で、第一次産業と第二次産業に従事している人はいません。
こちらもまた美しい海です。こうした場所で生まれ育った子供たちも、いつかは島を出て生活することになるのでしょう。島には雇用がないため、自分で仕事を作らなくてはなりません。
外地島(座間味村)上陸
外地島に上陸。外地と書いて読み方は「ふかじ」。島に住んでいる人はおらず、現在は空港のための島となっています。
まずは展望台へ。ケラマジカ対策?と思われる柵を開けて、階段を上っていきます。
外地島の道路や展望台への階段にいたのがシリケンイモリ。準絶滅危惧種に指定されている生き物ですが、この時は大量発生しており、車に轢かれてしまっているイモリも多く見られました。
阿嘉島の港から歩いて約1時間15分で外地展望台に到着。
こちらが展望台からの景色…ですが、この天気に加えて、草木が生い茂っており微妙でした。
慶良間空港を見学
アルファベットで「KERAMA」と書かれているこちらが、慶良間空港の滑走路。
赤瓦屋根の沖縄らしい外観が特徴の空港です。1982年に供用が開始され、定期便が就航していた時期もあったようですが、2023年現在はチャーターヘリと急患搬送のために使用されています。
ヘリ等での利用が無くても、空港施設は8時から18時まで開放されているので、中の様子を見学。
離島ならではのこじんまりとした小さな空港で、このドアの向こうはもう滑走路です。
こちらがチャーターヘリの案内。完全予約制で慶良間~那覇を15分、132,000円で結んでいます。なお、フェリーが欠航した場合には33,000円で利用することが出来るようです。
管理事務所にも電気が付いており、お手洗いも開放されていました。日帰りのため島での滞在時間は4時間。来た道を歩いて港へ戻ります。
.
今回はここまで。本日もありがとうございました。
★続きはこちら★
コメント