浜比嘉島上陸!アマミチューとシルミチューが眠る モズク養殖が盛んな島|2020 沖縄旅行記

島旅

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今回は「2020年 与勝諸島を巡る旅」その4をお届けします。

★前回の記事は こちら

浜比嘉島に上陸

平安座島と全長900mの浜比嘉大橋で結ばれている沖縄の浜比嘉島。1997年にこの橋が出来るまでは、屋慶名港から出ていた定期船で島へ渡っていたそうです。

2020年8月、浜比嘉島に上陸しました。周囲7kmの小さな島で、島を1周する道路はありません。このT字路で右か左へ行く必要があります。

比嘉集落(左)と浜集落(右)があり、これが「浜比嘉島」という島の名前の由来です。まずはT字路を左折し、比嘉集落へ向かいます。

アマミチューの墓という標識がありました。アマミチューとは琉球開闢の祖「アマミキヨ」のこと。沖縄の海の彼方にあるとされる理想郷「ニライカナイ」から久高島に降り立ち、今の沖縄を作ったと言われている女神です。

■ 参考:2017年 久高島旅行記

アマミキヨさんのお墓は、浜比嘉島とコンクリートの道で繋がった「アマンジ」と呼ばれる小島にあります。

こちらがその墓。どうやらアマミキヨさんと一緒に、旦那のシネリキヨさんもこのお墓に祀られているそうです。それ故、浜比嘉島は「神々の住む島」としても紹介されています。

アマミチューとシルミチューが眠る島

「シルミチュー」という標識がありました。アマミキヨさんが「アマミチュー」と呼ばれているのと同じように、シネリキヨさんは「シルミチュー」と呼ばれますが、現在はアマミキヨとシネリキヨの住んでいた洞窟を「シルミチュー」と呼ぶのが一般的です。

駐車場に原付を止めて、標識にあった「シルミチュー」を目指して歩きます。

うっそうとした森の中に鳥居が現れました。シルミチューは、昔から島民が拝みに訪れる場所ですが、沖縄の歴史を知っている人にとっては、こうした場所に鳥居があることに違和感を感じるはず。沖縄の場合、人々が拝みへ訪れる場所に、後から鳥居が設置された歴史があります

108段の階段を上り、シルミチューに到着。伝説によると、この洞窟でアマミキヨとシネリキヨが子を授かったそうです。洞窟の入口には柵がかけられていますが、子宝祈願の霊場として、観光客だけでなく沖縄県内の各地からも多くの人が訪れています

賽銭箱も設置されている

旧暦の正月を祝う「年頭拝み」では、比嘉集落のノロ(祝女)がこの洞窟の中で子孫繁栄や五穀豊穣を祈願するそうです。

モズク養殖が盛ん!

比嘉集落はここまで。続いては浜集落へと向かいます。

こちらは防波堤に掲示された「この先の海は、モズク養殖場です」と書かれた看板。沖縄県はモズクの生産量が全国1位。日本の養殖モズクの9割が沖縄県産となっています。その中でも与勝諸島周辺は一大産地として有名です。

モズクは日本以外でほとんど流通していないので、沖縄が「世界一の生産量」と言えるかもしれません。特に浜集落では、モズク養殖が盛んな様子が伺えました。

海中に張った網で育て、ポンプで吸い取り収穫したものが養殖のモズク。集落のあちこちに置かれている網は、まさにモズク養殖用ということです。

こちらは沖縄で初めてモズクの養殖に成功した恩納村で撮った写真。海の中にある四角い模様が「モズクの養殖畑」です。沖縄産モズクは4月から6月に収穫の最盛期を迎えます

見た目は美しい沖縄のコバルトブルーの海ですが、栄養(プランクトン)がゆえに魚が少なく、漁業には向いていません。そこで、始められたのがモズクでした。

こちらは歩道に放置されたモズクの網。浜比嘉島には海へ流れ込む河川がありません。そのため、海に赤土や生活排水が流れ込むことはなく、良好なモズクの養殖が可能であることに加え、昔から天然モズクも自生していたそうです。

島にはモズクの直売店もあります。沖縄のスーパーでも沖縄県産の生モズクが販売されており、そのまま食べてもおいしいので、お土産におすすめです。

もずくだけでなく「多幸(たこ)めし」も浜比嘉島の名物。宮城県仙台市の厨房機器製造メーカーが、東日本大震災から10日後に浜比嘉島で「サザンホープ浜比嘉」を開業。店名には「希望を失わないでほしい」という、南の島からの願いが込められています。

2020年国勢調査より

浜比嘉島の浜集落と比嘉集落の産業を見ると、漁業従事者の割合が多いことは分かりますが、全体の就業者数(浜集落+比嘉集落=83人)が少なすぎるような気がします。

海中道路の手前(沖縄本島側)の道路沿いに置かれたタコのモニュメント

あの網の量で浜集落の漁師さんが11人しかいないわけがないので、恐らく浜比嘉島へ通勤している漁業関係者の方も多いのでしょう。

また比嘉集落には、ホテル浜比嘉島リゾート(1997年開業)という大きなホテルもあります。「宿泊業、飲食サービス業」に従事する浜比嘉島の島民は9名のみ。ここで働く人の多くが島外から通勤しており、 島民の増加や島民向けの雇用創出にはそれほど貢献出来ていないことが伺えます。

写真は2012年に廃校となった浜中学校

2020年の浜比嘉島の人口は373人。2000年が484人だったので、20年間で111人の減少(減少率22.9%)です。現在、浜比嘉島の子供たちは平安座島の学校へ通っています。

交通の便の改善によって都市と田舎が繋がると、田舎の経済が発展するように思われがちですが、実際は田舎から都市へ人口や産業が流出してしまうことが多いです(ストロー現象)。島民がいなくなると橋を架けた意味も無くなります。橋を維持することが出来ず、船に戻る時期がやって来るのでしょうか。

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今回はここまで。本日もありがとうございました。

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