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今回は「2022年 成ケ島旅行記」その2をお届けします。
★前回の記事は こちら ★
淡路島の横にある無人島・成ケ島へ
2022年10月15日、淡路島の横にある無人島・成ケ島へ渡るため、神戸三宮から洲本バスセンターへやって来ました。

成ケ島には洲本市由良町から渡船で渡ります。渡船が出ている桟橋までは、洲本バスセンターから路線バス(淡路交通由良線)で約20分です。

車窓の海を眺めながら、淡路島の東海岸をしばし南下。

10時半過ぎ、「由良支所前」バス停に到着。

このバス停から、来た道を少し戻ると成ケ島渡船発着場(由良支所北桟橋)があります。

乗船券をゲット。料金は往復300円です。

そして、島の簡単な説明を受けてから…

渡し船に乗船。由良支所北桟橋から乗船する場合は予約等不要で、洲本市のホームページでは時刻表も掲載されていますが、この時はすぐに船を出していただけました。

この船が出ているのは金・土・日・月だけで、お盆と年末年始は運休。5月の潮干狩りシーズンは臨時運航もしているようです。

乗船時間2分で成ケ島に上陸!帰りも電話をすれば迎えに来ていただけるということで、時間はあまり気にせず、島を歩いて観光します。
日本一細い島?の正体を地理的に解説
淡路島の東沖合1kmに位置する成ケ島。南北に約2.5kmの細長い形状が特徴です。

瀬戸内海国立公園に属しており、地形・自然景観・地質・植物群落ともに兵庫県版レッドデータブックのA~Bランクに登録されています。

また、あわじ花へんろの第六十三番「花の札所」にもなっているようですが、この時はほぼ貸し切り状態。桟橋にいた釣りの人々を除いて、私たち以外の観光客はいませんでした。

こちらは桟橋のそばにある多目的芝生広場。なお、島内でのキャンプやBBQは禁止されています。宿泊施設は無いので、日帰りだけで訪れることの出来る島です。

また、自動販売機も無いので、上陸前に水分は確保しておくようにしましょう。お手洗いはあるので安心です。

お手洗いの横には、この島で唯一と思われる車両(軽トラック)が止まっていました。

ということで、まずは島の全景を見るため、展望台に行ってみたいと思います。

展望台があるのは「成山」の山頂(標高49.2m)。少し山を登りますが、道は整備されているので安心です。

15分ほどで展望台に到着。確かに細長い島であることが分かります。パンフレットでは、島の幅が15m~330mと紹介されており、定期船(渡船)がある島の中で『日本一細い島』と言えるでしょう。

展望台にあった「成ケ島の地形概要」によると、私がいる北端の成山と、南端の小丘・高崎(標高17.9m)との間は標高2m~3mの陸繋砂州で結ばれているようです。
地理用語の定義を整理する
ただ、私が思うに、この地形は陸繋砂州ではありません。ここで今一度地理用語の定義を整理したいと思います。
陸繋砂州と陸繋島

国土地理院では「離れ島を本土に繋いだ州をトンボロ(陸繋砂州)といい、繋がれた島を陸繋島という」と定義しています。北海道・函館がその代表例です。

函館山はもともと島でしたが、長い年月をかけて堆積した土砂等によって、北海道本土が繋がりました。つまり、現在の函館山市街地は陸繋砂州の上にあるのです。しかし、成ケ島は本土(淡路島)と繋がっていません。やはり展望台にあった案内板の内容は誤っているのでしょうか。
■ 参考:函館山の冬夜景を見た旅行記(2018年)

実は成ケ島は江戸時代まで淡路島と陸続きで、由良湾は潟湖(ラグーン)だったようです。
潟湖(ラグーン)
国土交通省によると、「潟湖(ラグーン)」とは、浅海の一部が砂嘴や砂州によって外海と絶縁され、浅い湖沼となったもの。その代表例が北海道本土・サロマ湖です。

遥か昔のサロマ湖は、オホーツク海に面した「湾」だったようですが、湾口に土砂等が堆積し「湖」となりました。現在は昭和時代に開削された2つの水路によって海と繋がっています。この堆積した土砂等のことを「砂嘴」または「砂州」といい、国土地理院による定義はそれぞれ以下の通り。
砂州(さす)

波食により生じた砂礫や河川によって運ばれた砂礫が、岬や海岸の突出部から海側に細長く突出した地形で、砂嘴が伸びて対岸にほとんど結びつくようになったもの。
砂嘴(さし)

湾に面した海岸や岬の先端などから細長く突き出るように伸びている砂礫質の州。
※ 州(学研キッズネットより)
川・湖・海などの水面上にわずかに現れた土砂の堆積物。
成ケ島の正体は砂州

由良湾が潟湖だった時代、北の成山と南の高崎は淡路島と陸続きで、「古川口」と呼ばれる水路が由良港への唯一の入口だったようです。
■参考:1

江戸時代になると、天然の良港である由良に出入りする漁船や藩船、商船等が増加。海流のぶつかり合う古川口は、砂で埋まることが多く、大型船が入港出来ないことがあったそうです。その対策として、1765年~1766年に開削されたのが「新川口」です。
■ 参考:2

この工事の結果、淡路島と成山の間が開削され、成山と高崎を繋ぐ砂州は「陸繋砂州」、成山は「陸繋島」となりました。

その後、1789年と1823年の2回に分けて行われた開削によって、生石と高崎の間に「今川口」が完成。こうして成ケ島は『島』となったのです。

現在は古川口は埋め立てられており、成山と高崎は1本の砂州によって繋がっていますが、この砂州は本土と繋がっていません。こうした海岸線にほぼ平行してできる砂州を「沿岸州」といいます。つまり『陸繋砂州(トンボロ)』ではないのです。

「かつては『陸繋砂州』だったが、現在は『砂州』によって成山と高崎が繋がっている」というのが正しい表現でしょう。成ケ島には「淡路橋立」と書かれた石碑もありました。恐らく、天橋立に景観が似ていることが由来ですが、天橋立はまさに「砂州」です。
砂州を歩いて観光

ここからは成山と高崎を繋ぐ砂州を歩いて観光。砂州上は遊歩道のようになっており、自動車が走っているような形跡もあります。

こちらは塩沼湿地。満潮時は海水に浸かり、干潮時には干上がるような砂泥地のことで、貴重な動植物が生息する干潟として紹介されています。埋立等により、大阪湾では塩沼湿地が減っているそうです。

細長い島ですが、遊歩道の両側が草木に覆われ、海が見えない場所もあります。この草木も左右で植生が異なり、左側は外海に面しているため砂丘植生、右側は内海に面しているため塩沼地植生となっているのが面白いポイントです。

外海側に広がる砂浜に出ました。幅11kmの紀淡海峡(友が島水道)に面し、ここから北が大阪湾、南が紀伊水道となっています。そして、この砂浜がまさに砂州を形成する「砂」です。

砂は淡路島の南にある灘海岸から、岸に沿って流れる「沿岸流」と、上げ潮時に紀伊水道から流れ込む潮流によって運ばれています。

パンフレットによると、この砂浜にはアカウミガメも上陸するらしいです。
■ 参考:野生のウミガメの産卵を見た様子

ちなみに、砂浜から由良側を見るとこんな感じ。陸続きのように見えますが、この間には由良湾があります。

遊歩道があるのはこの辺りまで。ここからは防波堤の上を歩きます。

発泡スチロールに貼り付けられた「今売れてます!」。どこから運ばれてきたのでしょうか。

ドローンも落ちていました。

桟橋から歩くこと約30分、観光客が歩いて行けるのはここまで。

歩道が整備されていないようで、パンフレットに「立ち入りはご遠慮ください」と書かれています。

展望台から見た景色だと大体この辺です。

由良湾が潟湖だった時代、外海と由良湾を繋ぐ水路「古川口」はこの先にあったようです。パンフレットには「切戸」と記載されています。

そして、成ケ島の細さを象徴する写真がこの1枚。左側が由良湾、右側が紀淡海峡、防波堤の上で寝ているのが私(身長173cm)です。これほど細い島にも、かつて人が住んでいた時代があったようです。詳しくは次回。
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今回はここまで。本日もありがとうございました。
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