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今回は「沖縄のドライブインとAランチ文化」をご紹介します。
ドライブインに行ってみた
この日昼食を食べるためにやって来たのは、国道331号線ある「具志頭ドライブインレストラン」。
ドライブインは、駐車場に車を止めたまま、車内で注文・飲食・支払いまでを済ませることが出来る施設のこと。1921年にアメリカ・ダラスで開業したのを皮切りに、1950~60年代に最盛期を迎えました。
日本では、1964年の東京オリンピック以降にモータリゼーションが進み、各地でドライブインが見られるようになったそうです。沖縄で最初のドライブインは1967年、恩納村仲泊に開業したシーサイドドライブインと言われています。
その後は、道路沿いにドライブスルーやコンビニが普及し、ドライブインはほとんど見られなくなりましたが、沖縄にはまだちらほらと残っています。ただし、車内で注文・飲食・支払いまでを済ませることは出来ず、駐車場に車を止めて、店内で注文・飲食・支払いをする通常のレストランのようなスタイルです。
沖縄の食堂の定番 Aランチを食べる
今回のお目当ては「Aランチ」。知る人ぞ知る沖縄グルメのひとつと言えるでしょう。
お店によって内容は異なりますが、Aランチを注文すると、1つのプレートに肉やフライ、ライスなどが盛られた洋食メニューが出てくる場合が多いです。おかずの質と量で、Aランチ・Bランチ・Cランチとランク付けされ、これが日本風の「松・竹・梅」にあたります。
ちなみに「ランチ」と付いていますが、昼限定ではなく、夜でも注文することが出来るお店が多いです。こうした沖縄のランチ文化のルーツとされる人物が元山嘉志富氏。1892年、鹿児島県喜界島に生まれた嘉志富氏は、28歳で職を求めて渡米。ニューヨークでレストランを経営するようになりましたが、太平洋戦争が起こると喜界島へ戻りました。
終戦後の1951年、元山氏はアメリカで培ったスキルを活かし、米軍統治下の沖縄県でニューヨークレストランを開業。ステーキやハンバーグ、ハンバーガー、サンドイッチなどを提供するようになると、故郷の味を求めて米軍が殺到したそうです。
食堂の定番メニューとなっている理由
あまりの忙しさに、嘉志富氏は喜界島から若者を呼び寄せ、新たに店舗を開業(のれん分け)させました。
新たな洋食レシピを身に付け、新たなメニューが増えていく過程で、1956年、喜界島からやって来た若者のひとり・徳富清助氏がAランチを開発。Aランチは、当時の沖縄の人々にとって高価だったステーキの代わりになるごちそうとなりました。
その後、おかずの質や量を落としたBランチ、Cランチが出来ると、本格的に沖縄の食堂へ普及していったそうです。ドライブインの開業も米軍統治下の時代。創業者の大城保三氏は、米軍基地内のドライブインレストランを利用したことをきっかけに、地元・恩納村でドライブインを開業したのでした。
残念ながら具志頭ドライブインは2020年をもって閉店していましたが、ローカルな沖縄を感じたい方には、ドライブインやAランチがおすすめです!
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今回はここまで。本日もありがとうございました。
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