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今回は「奥尻島旅行記」後編をお届けします。
★前回の記事★
江戸時代は流罪の地だった
金曜日の仕事終わり、埼玉から新幹線→フェリー→バス→フェリーと乗り継いで、奥尻島に上陸しました。

レンタカーを借りて島を1周したので、ここからはその道中で撮影した写真(順不同)とともに、奥尻島がどんな島なのかをご紹介します。

まず「おくしり」という島の名前は、アイヌ語で「向こうの島」を意味する「イク・シリ」が由来となっています。

北海道最西端に位置しており、東京よりもウラジオストクの方が近く、1805年にはロシアの軍艦が島に接近し、経緯度などを測定したそうです(この前の年、ロシアはサハリンや択捉島にも攻撃している)。

こちらは奥尻海峡を望む場所に鎮座する宮津弁天宮。もともと「番所(江戸時代、通行人や船舶などを見張り、積み荷の検査や税の徴収などを行った)」があったところに、島民らが大漁祈願のため、1831年にお社を建てたのが始まりとされています。

5億年前の海底の隆起によって誕生した奥尻島。島内で発見された遺物や遺跡から、8000年前(縄文時代早期)には人が暮らしていたことが分かっています。

奥尻町のホームページに掲載されている年表の始まりは、室町時代の武将で、松前藩主の祖とされる武田信広が漂着した1454年です。その年表で奥尻島の歴史を辿ってみると、島に定住していた人はほとんどいなかったようです。

1833年、遠島刑(流罪)の豊吉が島から脱走したとの記述があることから、江戸時代は流罪の地になっていたことが分かります。
漁業の島の衰退
1868年(明治初期)の人口は46人。

現在の奥尻町には約2400人が暮らしていますが、人口は右肩下がりです。

1869年(明治初期)、全国各藩による北海道分領地支配が施行されると、島全体が奥尻郡となり、1871年までは福岡藩(現在の福岡県)の支配地となりました。1872年からは管轄が開拓使に代わり、その後奥尻村を経て、現在の奥尻町が成立したのは1966年です。

1767年、田口九兵衛が漁業を営むために移住して以来、永住する人が増えたということで、奥尻島では昔から水産業が盛ん。明治末期まではニシン漁が中心で、「夢の島」「宝の島」とも呼ばれていました。

近年の漁業の中心はイカやホッケ、ウニ、アワビ(詳しくは奥尻町が出している主要水産物カレンダーにて)。また釣りのメッカとしても知られています。

こちらは奥尻島の最北端「稲穂崎」の売店。真ん中のかごに入った貝は「桜貝」という奥尻島の名物。漁期が短く、この時期(6月)にしか食べることが出来ない珍しいものです。

ちなみに稲穂崎周辺は、「賽の河原」という道南五大霊場のひとつ。小さなお地蔵さんや石積み、札などが無数にあり、不思議な雰囲気が漂っています。

島の産業を見ると、漁業に従事している人が特別多いわけではなく、働いている人の4分の1以上が公務員、または(公共工事を請け負っていると思われる)建設業という状況です。
水と緑が豊かな島
一方で、奥尻島は海だけではありません。

島の6割がブナ原生林に覆われているため、水が豊富で、川や滝をあちこちで見ることが出来ます。

こちらは道沿いで見つけたホヤ石の滝。水力発電にも利用されています。

ここが北海道、また離島であるとは思えない、日本のふるさとの景色がありました。北海道の離島で稲作が行われているのは奥尻島南部だけ。1887年から稲作が行われ、現在は10数戸の米農家によって、「ふっくりんこ」「ななつぼし」「ゆめぴりか」等が収穫されているそうです。

こちらはブドウの木だと思われます。奥尻島では、ブドウ栽培からワインの醸造までが全て島内で行われおり、奥尻ワイナリーでは現在、9種類のワインが販売されています。ちなみに、ワイナリーがある離島は日本でここだけです。

草原では「おくしり和牛」の放牧も行われていました。町の耕地の約半分は公共育成牧場の牧草地で、1970年代から肉用牛の生産に力を入れています。
水産業と観光産業の両立
そして奥尻町のホームページには、基幹産業として「水産業と観光産業の両立を目指す」と書かれています。

島の全域が檜山道立自然公園に指定されており、自然が豊かでることは言うまでもありませんが、クマやシカ、キツネなどの動物や、マムシは生息していないそうです。

また奥尻島の海は、その透明度の高さから「奥尻ブルー」と呼ばれています。ただ、この日は波が強かったので、奥尻ブルーを楽しむことは出来ませんでした。

さらに神威脇温泉保養所という天然温泉やグルメも楽しむことが出来ますが、今回はその時間もありませんでした。

最後にやって来たのは球島山展望台。ここは奥尻島で一番人気のスポットとして紹介されていることが多いです。駐車場に車を止めて、約90段の階段を登ると…

海と森のパノラマが広がりました。ということで、無事滞在時間4時間で島を1周することが出来たので、レンタカーを返却し、港へ向かいます。1周している途中、すれ違う車や人はほとんどいませんでした。

過疎化対策として実施されているイベントが奥尻ムーンライトマラソン。もともと沖縄県・伊平屋島で開催されていたムーンライトマラソンの暖簾分けを受けた大会で、2014年から開催されています。
★参考:伊平屋島旅行記★
16時前、船は大きく揺れながら接岸。さらば奥尻島。
江差港までも、そこそこ揺れる船旅となりました。

奥尻島への観光客数は年間3万人前後で推移しています。今回は往復ともハートランドフェリーを利用しましたが、空港もあり、JALの小型機(36人乗り)が函館との間を1日1往復運航しています。

ただ、利用する人は少ないようで、2018年度の函館-奥尻間の搭乗率38.9%という数字は、JALが道内で運行する航路の中で最も少ないです。綺麗な空港ですが、カフェや飲食店もなく、私が訪れた時も、空港内には誰もいませんでした。

18時過ぎ、江差港に戻ってきました。なお、せたな航路の廃止以降は、奥尻島を出港する船の時刻が繰り上げられたため、日帰りで島を1周することは出来なくなっています。

路線バスに乗車し函館へ。バスの車窓からは海に沈む、綺麗な夕陽を見ることが出来ました。

夜景が美しい函館市街地に到着。行きと同様、函館港(五稜郭)へ移動し青函フェリーに乗船。

船内で夜を明かし、早朝の青森港に到着。青森港から歩いて青森駅までやってきました。

写真はありませんが、この日は1日バス。8時に青森駅を出発し、19時前に上野へ到着するスカイ号に乗車。大人1人の運賃は6000円でした。
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今回はここまで。本日もありがとうございました。
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