なぜ水牛?由布島の歴史を知る!沖縄の水牛の島を歩いて観光してみた|2021 旅行記15

2021年→2022年 年末年始の旅

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今回は【2021年→2022年 年末年始の旅】その15をお届けします。

★参考:前回の記事★

滞在時間50分!沖縄の水牛の島を歩く

西表島から歩いて「由布島」に上陸しました。

西表島・大原港へ戻るバスは1日4便しかないため、バスの時間から逆算して、由布島の滞在時間を考えなければなりません。

帰りのバスは11時53分、由布島から西表島のバス停までは歩いて約20分、現在の時刻は10時38分… ということで、由布島での滞在時間は50分程度しかありません。かなり小さな島なので、それでも十分楽しめるはずです。

■島内マップは こちら

島の雰囲気はこんな感じ。サンゴ砂の道が整備され、細かく看板もあるので、迷ったりする心配はありません。

水浴びをしている水牛たちがいました。彼らは体毛がほとんどないため、日差しを浴びると日焼けをしたり、体温が上昇してしまったりするため、水辺を好むそうです。

こちらは休憩中の水牛たち。いわば「乗務員控室」というような場所でしょうか。

エサやり体験もありました。1バケツ500円とありますが、バケツの中身は不明です。

こちらがあんずちゃん。写真・動画映えを狙ってか、ハイビスカスでおめかしをしています。

上陸からゆっくり歩いて約15分、レストラン&ショップ「水牛商店」に到着しました。

由布島のお土産屋さん

食事とお土産を楽しむことが出来る施設ですが、いずれも「由布島ならでは!」「由布島限定」という類の商品は少なめ。

ぬいぐるみなどの水牛グッズは多いですが、西表島や石垣島、またAmazonで買うことが出来るようなお土産が多い印象を受けました。

ハブがホルマリン漬にされてたハブ

ハブ酒はありませんが、レストランでは泡盛やオリオンビールなど、お酒の提供もあります。どうやら団体の受け入れがメインのようで、個人向けメニューは少ないです。ここに「水牛ソフト」や「水牛ステーキ」などがあればもっと… というのが個人的な感想です。

そして、水牛商店の目立たないところに「一昔前の由布島」という掲示板があり、当時の写真がありました。今では水牛一色の島となっていますが、その背景にはどんな歴史があるのでしょうか。

なぜ水牛?由布島と水牛の歴史

ここからは「水牛車待合所」にあった由布島の年表をもとに、由布島の歴史と水牛について探っていきます。

無人島だった由布島に住み始めたのは、戦前に西表島で水田耕作を行う竹富島と黒島の季節農家。当時は西表島で流行していた「マラリア」を防ぐため、蚊のいない由布島に居を構えたそうです。

終戦を機に定住者は増加し部落や公民館を形成。1971年までは小中学校(1948年~)もあり、島に100人以上が住む時代もありました。

1950年代、マラリアの収束で島に新たな産業(パイナップルやさとうきびの栽培など)新たな産業が興ると、各世帯で水牛を持つようになったそうです。水牛は日本にいない動物ですが、1933年から1938年にかけて、台湾からの移民と共に石垣島へ役畜として導入されていました。

1958年、由布島と石垣島を結ぶ定期船が就航しましたが、船が島に接岸するのは大潮の満潮の時だけ。それ以外の時は、艀(はしけ)や水牛車を使って、人や物資を運んでいました。

ほぼ全島民移住から観光の島へ

電話線も引かれ、徐々に人々の生活が形成されていきましたが、1969年の台風エルシーによる高潮で、島全体が水没。これにより、1971年には3世帯を残し、ほとんどの住民が西表島に移住してしまいました。

その翌年、由布島に残った西表正治氏が「島をパラダイスガーデンへ」のロマンスを描きながら、1頭の水牛とともに、島にヤシや花を植えるようになりました。

そして1980年、由布島植物園が開園すると、1日10名程度の観光客が水牛車で訪れるようになりました。その最初の水牛が大五郎。現在も立派な角と頭蓋骨が展示されています。

島へ水牛車で渡ることが注目を浴び、観光客数は年々増加。テレビCMも放送され、1993年には年間15万人ほどが由布島へ訪れるようになりました。

現在も島全体が【亜熱帯植物楽園】として整備され、木々や植物にはもれなく、写真のような案内が設置されています。

この画像には alt 属性が指定されておらず、ファイル名は IMG_1131-1024x768.jpg です

こちらはShell&Green Oasis。島内にある無料で見学することが出来る施設で、様々な貝殻が展示されています。他にも島内には「ブーゲンビリアガーデン」や「蝶々園」など、無料で見学することが出来る施設があります。

2018年の調査によると、八重山圏域に訪れる観光客の4人に1人が由布島に上陸しているようです。

また、今も島には数十人が暮らしているそうですが、住居のようなものは見当たりませんでした。

始祖・大五郎から現在までつながる血筋

こちらが由布島の水牛の始祖・大五郎の写真。立派な水牛です。

相方・花子との間に生まれた3頭の水牛のうち、さゆりからまた子どもが生まれ… というように、大五郎と花子の家系は現在まで続いており、竹富島や沖縄本島(ビオスの丘ふくらしゃやなど)で活躍している水牛たちも、その血筋にあたります。

こちらは由布島ある「水牛之碑」。水牛たちへの感謝の意が込められています。

この日も由布島には多くの人が訪れていましたが、歩いて由布島へ渡る人はゼロだったことからも、島そのものより、水牛車の人気が高いことが伺えました。

私は帰りも海を歩いて西表島へ。

西表島の「旅人の駅」へ戻ると、無料でパイナップルジュースをいただきました。外で靴も洗い、大きな荷物も受け取って、港方面へ戻るバスに乗車します。

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今回はここまで。本日もありがとうございました。

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