由布島散策 水牛と共にある島の歴史をご紹介|2021年→2022年 年末年始その19

2021年→2022年 年末年始の旅

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今回は【2021年→2022年 年末年始の旅】その19をお届けします。

★参考:前回の記事★

由布島と水牛の歴史

西表島のお隣に浮かぶ【由布島】に上陸。一通り島を散策して、「水牛の島」であることが分かりました。

なぜ、由布島は水牛の島となっているのでしょうか。

「水牛車待合所」にあった由布島の年表をもとに、由布島の歴史と水牛について探っていきます。

今では2400人が住む西表島は、長年マラリアに汚染され、人が住むのは一部の集落のみ。一方で由布島はマラリアがなく、竹富島や黒島から移り住んだ人々がいました。今も島には、写真のように、公民館の跡が残されています。

水牛は、1932年頃、台湾の開拓民と共に石垣島へ渡ってきていました。

1971年に、西表島の学校に統合されるまで、由布島には小中学校もあり、100人以上が住む時代もありました。パイナップルやさとうきびの栽培など、由布島では新たな産業も興り、島民は1950年代から、各世帯で水牛を持つようになったそうです。

1958年には、由布島と石垣島を結ぶ定期船が就航しましたが、船が島に接岸するのは大潮の満潮の時だけ。それ以外の時は、艀(はしけ)や水牛車を使って、人や物資を運んでいました。

ほぼ全島民移住から観光の島へ

電話線も引かれ、徐々に人々の生活が形成されていきましたが、1969年、台風エルシーによる高潮で、島全体が水没。これにより、1971年、3世帯を残し、ほとんどの住民が西表島に移住してしまいました。

その翌年、由布島に残った西表正治氏が、「島をパラダイスガーデンへ」のロマンスを描きながら、1頭の水牛とともに、ヤシや花を植えるようになりました。

そして、1980年、由布島植物園が開園。1日10名程度の観光客が、水牛車で訪れるようになりました。その最初の水牛が大五郎。現在も立派な角と頭蓋骨が展示されています。

島へ水牛車で渡ることが注目を浴び、観光客数は年々増加。テレビCMも放送され、1993年には年間15万人ほどが、由布島に訪れるようになりました。

2018年の調査によると、八重山圏域に訪れる観光客の4人に1人が、由布島に上陸しているようです。

始祖・大五郎から現在までつながる血筋

こちらが、由布島の水牛の始祖・大五郎の写真。立派な水牛です。

相方・花子との間に生まれた3頭の水牛のうち、さゆりからまた子どもが生まれ… というように、大五郎と花子の家系は現在まで続いており、竹富島や沖縄本島(ビオスの丘ふくらしゃやなど)で活躍している水牛たちも、その血筋です。

由布島には、水牛たちへの感謝の意を込めた「水牛之碑」も置かれています。

この日も多くの人が訪れていましたが、歩いて由布島へ渡る人はゼロだったことからも、島そのものより、水牛車の人気が高いことが伺えました。

私は帰りも、海を歩いて西表島へ戻りました。

西表島から由布島へ繋がっている電柱には、「由布」と書かれていました。この電柱と電線は、台風にも強いようです。

由布島の入園受付窓口・旅人の駅に戻ると、無料でパイナップルジュースをいただきました。外で靴も洗い、大きな荷物も受け取って、港方面へ戻るバスに乗車します。

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今回はここまで。本日もありがとうございました。

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