南大東島上陸!八丈島出身の玉置半右兵衛が開拓したサトウキビの島 ~九州・沖縄の島を巡る旅 その23~

旅の思い出

ブログをご覧いただきありがとうございます。

本日は
九州・沖縄の島を巡る旅
その23をお届けします。

★その22はこちら★

南大東島はサトウキビの島

旅の9日目。

那覇からおよそ15時間の船旅を終え、
船からクレーンに吊るされて
「南大東島」に上陸しました (笑)

フェリーだいとうの船内にあるテーブルには
南大東音頭」の歌詞が書かれていました。

「砂糖の島」「キビの波」「砂糖工場」
というフレーズが出てきます。

南大東島は耕地面積の 9割
サトウキビ畑であることから
サトウキビの島」とも言われています。

こんな感じでサトウキビ畑が広がっています。

絶海の孤島「南大東島」の開拓

大東諸島は周囲400kmにわたって陸がなく、
さらに島から2kmほど離れると、
海の水深が1000mを超えるという
正真正銘の「絶海の孤島」。

南大東島を含む大東諸島は
今から1800年代前までは無人島でした。

そんな島の開発に着手したのが玉置半右兵衛です。

1838年に玉置半右兵衛は
伊豆諸島・八丈島に生まれました。

結論から言うと、大東諸島に
八丈島と同様の文化がある理由はこれです。

大東島と八丈島の共通点

南大東村役場のホームページにある
特産・名物】の一番上で紹介されているのは

「大東寿司」

醬油ベースの特性タレに
サワラ・マグロを漬け込み甘酢飯で握る…

って、伊豆諸島の「島寿司」と全く同じです(笑)

他にも
「いらっしゃいませ」=「おじゃりやれ」
・大東太鼓≒八丈太鼓

など八丈島に共通する文化があります。

あとは、沖縄では至る所に見られる「御嶽」も
大東島にはありません。

その代わりに「お地蔵さん」が置かれています。

このように、
本土と沖縄の文化の違いの影響も受けています。

★私が八丈島に行った時の話★

玉置商会による島の開発

玉置半右兵衛に話を戻すと、
彼は八丈島・青ヶ島の南に浮かぶ鳥島で
アホウドリの羽毛
採取・輸出する事業で資産を築きました。

その次に彼は大東諸島に目を付けたのです。

1900年、
南大東島に入植者が送れたことで開拓がはじまり、
その2年後には製糖工場が出来ました。

こちらの道路には線路の跡があります。

これは「シュガートレイン」の跡。

1983年まで、 南大東島には
港までサトウキビを運ぶための
トロッコ電車が走っていました。

玉置半右兵衛が経営する玉置商会は
こうした島の交通だけでなく、
郵便、通信、病院、学校までも運営し、
さらには島内通貨も流通させていました。

長崎の軍艦島と似たような感じですね。
軍艦島は三菱の探鉱事業によって開発が進みました。

★旅行記★

南大東島では、玉置商会という企業が、
これだけの影響力を持つ状態が戦後まで続き、
村民に土地の所有権が与えられたのは
1964年のことでした。

ちなみに、会社のトップが八丈出身、
労働者は沖縄出身という
「ピラミッド構造」があったそうで、

玉置商会はネットで
最もブラックな会社」と言われています(笑)

いくら働いても島内通貨しかもらえないとなると
島の外で使われているお金は
紙切れにしかは出来なくなるわけで…

しかも島外に出るための船も会社所有。

玉置商会は戦後、経営不振により破綻しており、
現在は存在していませんが、南大東島が
サトウキビの島」であることは変わりません。

ということで、
今回は大東島の特異な歴史に触れてみました。
次回もお楽しみに。

本日もありがとうございました。

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