羽田空港の2倍の広さ。米軍基地が見える道の駅かでなへ|戦跡巡り旅行記その3

南国日記~沖縄移住の記録~

ブログをご覧いただきありがとうございます。

今回は「沖縄戦の戦跡を巡る旅」その3をお届けします。

★前回の記事★

そもそも沖縄の戦跡巡りとは

原付で沖縄戦の戦跡を巡っています。

「戦跡」と言っても、沖縄本島には戦時中の戦車や大砲があまり残されていません。

こちらは小笠原諸島の父島。

山の中に戦時中の車両がそのまま残されています。

沖縄に戦跡が残されていないのは、戦後復興の過程で、資材として活用されたためです。

★参考:父島の戦跡★

そのため「戦跡巡り」といっても、激戦があった地(今は住宅街)や慰霊碑、ガマを巡ることになります。

ということで、米軍上陸地のモニュメントの次にやってきたのは「道の駅かでな」です。

道の駅かでなの屋上には展望台があり、米軍の嘉手納飛行場を見ることが出来ます。

嘉手納飛行場を見る

こちらが嘉手納飛行場です。約3,700mの滑走路が2本あり、基地の広さは羽田空港の約2倍にもなるそうです。

嘉手納飛行場はもともと日本軍が建設した「中飛行場」といい、米軍は沖縄本島に上陸後、その日のうちに中飛行場を占領しました。

現在では嘉手納町・沖縄市・北谷町の3市町にまたがり、特に嘉手納町については、町の面積の8割を嘉手納飛行場が占めています。

大きな飛行機もそうですが、特に戦闘機が飛び立つとき、ここにいると物凄い音を聞くことが出来ます。

私が行ったタイミングで、飛行機や戦闘機の離着陸を見ることは出来ませんでしたが、展望スペースには立派なカメラを持った見物の方が多く訪れていました。

道の駅かでなには、嘉手納飛行場に関する資料館も併設されています。

ここでは基地の歴史や戦後の問題などを知ることが出来ます。

「問題」というのは『騒音』はもちろん、『安全面』や『攻撃のターゲットになりうる』など様々ありますが、今回のコロナでは「日本のルールが通用しない」という影響も大きいです。

こちらは本日(2020年7月29日)の嘉手納飛行場の入口。多くの車が出入りしています。

従業員の方や基地外に住んでいる方もいるので封鎖は無理だと思いますが、「ロックダウン」という発表もあったり…沖縄に住んでいても「よく分からない」というのが現実かと思います。

ただ、日本には沖縄以外にも米軍基地が存在しており、国防上重要な役割を果たしていることも忘れてはいけません。

沖縄ではよく「軍用地」と書かれた看板を見かけます。米軍基地の土地(軍用地)にも地主がおり、アメリカから土地の賃料が、日本政府を通して地主の皆さんに支払われています。

沖縄県のHPによると2013年現在、嘉手納飛行場の賃料は269億円、11450人の地主の方がいるそうです。

また、沖縄はよくハワイと比べられますが、ハワイの産業構造を見ると、観光の次に基地収入が多いです。基地周辺の市区町村は県内でも平均所得が高めで、人口も年々増加しています。

売店には戦闘機グッズがある!?

米軍基地は戦後75年経った今でも、沖縄に色々な影響を与えているのです。

売店にはアメリカンなミリタリー関連のおもちゃが販売されています。

マニア向けではないお店で、こうした商品が売られているのは珍しいような気がします。

トミカのような戦車と戦闘機鉛筆削り(笑)

アメリカや海外ではこうした戦闘機グッズが子供向けに販売されているのでしょう。

ということで、道の駅かでなを出発。

太平洋戦争において、米軍が硫黄島や沖縄に攻撃した主な目的は本土攻撃をするための「飛行場の確保」でした。

「中飛行場」(と「北飛行場」)を占領し、その目的を上陸初日に果たした米軍は、本島を南北に分断後、日本軍の拠点である首里城を目指して南下を始めます。

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今回はここまで。本日もありがとうございました。

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