「道の駅かでな」の展望台から見る嘉手納飛行場(米軍基地)。戦闘機グッズも販売されている!?|戦後75年 沖縄戦の戦跡を巡る旅 旅行記その4

南国日記~沖縄移住の記録~

ブログをご覧いただきありがとうございます。

今回は
沖縄戦の戦跡を巡る旅」その4
をお届けします。

★前回の記事★

そもそも沖縄の戦跡巡りとは

原付で沖縄戦の戦跡を巡る旅。

ただ、戦跡と言っても、
沖縄の場合は戦時中の戦車や大砲が
残されているわけではありません。

こちらは小笠原諸島の父島。

山の中に戦時中の車両がそのまま残されています。

沖縄に戦跡が残されていないのは
戦後復興の過程で、
資材として活用されたためです。

そのため、沖縄では戦跡巡りといっても
米軍上陸の足跡を辿ったり、慰霊碑やガマを
巡ることになります。

ということで、
米軍上陸地のモニュメントの次にやってきたのは
道の駅かでな」です。

道の駅かでなの展望台から

道の駅かでなの屋上には展望台があり、
米軍の嘉手納飛行場を見ることが出来ます。

こちらが嘉手納飛行場です。

約3,700mの滑走路が2本ある
日本で最も大きな米軍の飛行場になります。

嘉手納飛行場はもともと
日本軍が建設した「中飛行場」といい、
米軍は沖縄本島に上陸後その日のうちに
中飛行場を占領しました。

現在では嘉手納町・沖縄市・北谷町の
3市町にまたがり、特に嘉手納町については
町の面積の8割を嘉手納飛行場が占めています。

私が行ったタイミングで、飛行機や戦闘機の
離着陸は見ることが出来ませんでしたが
展望スペースには立派なカメラを持った
見物の方が多く訪れていました。

大きな飛行機もそうですが、
特に戦闘機が飛び立つとき
ここにいると物凄い音を聞くことが出来ます。

資料館で嘉手納飛行場の歴史を知る

道の駅かでなには
嘉手納飛行場に関する資料館も併設されています。

ここでは基地の歴史や
戦後の問題などを知ることが出来ます。

「問題」というのは『騒音』はもちろん、
安全面』や『攻撃のターゲットになりうる
など様々ありますが、今回のコロナでは
日本の法律が通用しない
ということが深刻な影響をもたらしています。

こちらは本日(2020年7月29日)の
嘉手納飛行場の入口。

従業員の方や基地外に住んでいる方もいるので
封鎖は無理だと思いますが
ロックダウン」という発表もあったり…

よく分からない」というのが現実です。

ただ、日本には沖縄以外にも米軍基地が
存在しており、国防上重要な役割を
果たしているということも忘れてはいけません。

沖縄ではよく
軍用地」と書かれた看板を見かけます。

米軍基地の土地(軍用地)にも地主がおり、
アメリカからは土地の賃料が日本政府を通して
地主の皆さんに支払われています。

沖縄県のHPによると
2013年現在、嘉手納飛行場の賃料は269億円、
11450人の地主の方がいるそうです。

また、沖縄はよくハワイと比べられますが
ハワイの産業構造を見ると、
観光の次に基地収入が多いです。

実際、基地周辺の市区町村は県内でも
平均所得が高めで、人口も年々増加しています

つまり、米軍基地は戦後75年経った今でも
沖縄に色々な影響を与えているのです。

売店には戦闘機グッズがある!?

売店にはアメリカンなミリタリー関連の
おもちゃが販売されています。

日本でこうした商品が売られているのは
珍しいような気がします。

トミカのような戦車と戦闘機鉛筆削り(笑)

アメリカや海外ではこうした戦闘機グッズが
子供向けに販売されているのでしょうか。

ということで、道の駅かでなを出発して、
ここから沖縄本島を南下します。

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今回はここまで。
本日もありがとうございました。
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