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今回は「歩いて瀬底島に上陸」した時の様子をお届けします。
瀬底大橋を歩く
沖縄北部・本部町には2つの有人島があります。ひとつが渡久地港から船で行く「水納島」、もうひとつが沖縄本島と橋で繋がっている「瀬底島」です。
今回は瀬底大橋を渡り、島にある「ヒルトン沖縄瀬底リゾート」まで歩いてみました。
瀬底大橋(全長762m)が完成したのは1984年。沖縄本島と周辺の離島を結ぶ橋の中でも、比較的古い橋です。
こちらが橋が完成する前の瀬底島。集落は島の中央部に密集しており、島は全体的に緑に覆われています。また、港のような構造物は無さそうなので、沖縄本島とはボートなどで行き来していたのでしょうか。
瀬底大橋には歩道もあるので、歩いて渡ることが出来ます。橋を渡り始めて少ししてから振り返ると、沖縄らしいコバルトブルーの美しい海が広がりました。
そして、瀬底島上陸直前で見られるのが、沖縄本島周辺でも屈指の美しさを誇る「アンチ浜」。
アンチ浜には観光客がいますが、橋を歩いている人はゼロです。
砂浜からはこの海の色を見ることが出来ません。
橋の上では車を止めることが出来ないので、この美しさはあまり知られていないのでしょう。
こちらも瀬底大橋からの景色。サンゴ礁の上に本部町の集落があり、沖縄が「うるま島(沖縄方言:サンゴの島)」と言われる理由がよく分かる景色です。
ヒルトン沖縄瀬底リゾートへ
瀬底島に上陸しました。沖縄本島と橋で繋がっているためか、「沖縄の離島にやって来た」という感じはしません。島にはおよそ800人が暮らしています。
こちらは島にあった商店。橋を渡ればスーパーもコンビニもあるので、車があればそこまで不便さは無さそうです。
こちらは島にある「石嘉波」と書いて「いちゃは」と読むバス停。沖縄本島と瀬底島を行き来する路線バスもあります。
島の産業は「宿泊業、飲食サービス業」。3割以上の方がいわゆる観光業に従事しています。ただ、これはあくまで瀬底島に住んでいる人がどの産業に従事しているかを示した表。瀬底島から沖縄本島に通勤している人は含まれる一方で、沖縄本島から瀬底島に通っている人は含まれていません。
「農耕車に注意」の標識がありました。農業に従事している人は少ないですが、瀬底島でもサトウキビの収穫などが行われています。
こちらは瀬底小学校。2階建てののどかな雰囲気で、幼稚園も一緒になっています。2012年までは瀬底中学校もあったそうです。
学校の近くには島で唯一の信号機が設置されていました。
そして、ヒルトン沖縄瀬底リゾートに到着。このホテルを中心に瀬底島の観光開発が進んだのかと思いきや、ヒルトン沖縄瀬底リゾートが開業したのは2020年7月です。
瀬底島とホテル開発の歴史
瀬底島で初めて大規模なホテルの開発計画が持ち上がったのは1980年代後半のこと。
1987年にリゾート法(総合保養地域整備法)が制定されたことに加えて、世の中はバブル経済真っ只中。全国でリゾート施設の建設が相次ぎましたが、バブルが崩壊すると、そうした施設は次々と破綻。瀬底島のホテル計画についても白紙となりました。
その後、2005年に再び瀬底島でホテル開発計画が持ち上がります。その計画を主導していたのは株式会社都市デザインシステム(現:UDS)。しかし、今度はアメリカのサブプライムローン問題により、2008年に会社が破綻。ホテルの建設工事は半分程度進んだ段階で中断し、島には巨大な廃墟だけが残りました。
廃墟となった土地の所有権を取得し、2015年からリゾート開発に乗り出したのが森トラスト株式会社です。2018年6月から工事が着工しましたが、開業直前にして今度はコロナに見舞われることとなりました。
瀬底ビーチに到着。全長1kmの砂浜には、観光客も多く訪れていました。レンタカーで本部半島(美ら海水族館など)をドライブするついでに、瀬底島に立ち寄る観光客も多いのでしょう。
こちらの平べったい島が、本部町にあるもうひとつの有人島・水納島。「クロワッサン・アイランド」の愛称で親しまれています。
コロナ禍に開業したヒルトン沖縄瀬底リゾートですが、2024年現在も営業を続けており、これが3度目の正直といったところでしょうか。森トラストが開発し、ヒルトンが運営を行うという体制も、経営的に優れているのかもしれません。
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今回はここまで。本日もありがとうございました。
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