北海道&東日本パスで行く北海道の旅!神威岬~小樽~札幌~函館を観光|2014 旅行記

旅の思い出

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今回は「2014年 北海道&東日本パスの旅」旅行記をお届けします。

北海道&東日本パスで行く北海道の旅

2014年8月31日、青森駅にやって来ました。この日は22時に青森駅を出発する「急行はまなす」に乗車し、北海道へ上陸します。

まだ時間があるので駅周辺をぶらぶらと。こちらは青森駅前に展示されている青函連絡船「八甲田丸」。青函トンネルが開通するまで、本州と北海道を結んでいた連絡船です。

列車もまた、青森駅の先に延びるこちらの線路から青函連絡船に積み込まれていました。

こちらは八甲田丸のそばにある「津軽海峡冬景色」の歌碑。歌碑に近づくと、自動でタラララ~ンと、なかなかの音量で音楽が流れます(笑)津軽海峡冬景色は青函連絡船の情景を描いた演歌なので、ここに歌碑が置かれているのでしょう。

ライトアップされた青森ベイブリッジ

青森駅のそばにある「まちなか温泉(450円で利用することが出来るスーパー銭湯(温泉)」で時間を潰しているうちに、すっかり夜になりました。

青森駅の電光掲示板には「急行はまなす 22:18 札幌」という表示が出ています。この列車は今回利用している北海道&東日本パスに、1,200円くらいの「急行券」を追加で購入するだけで利用することが出来ます。

ホームに列車が到着しました。2016年3月、急行はまなすは北海道新幹線の開通に先立って廃止となりました。当時はまだ「夜行列車が貴重なものである」という認識がなかったので、写真があまり残っていないのが残念です。

これが最初で最後の急行はまなすとなりました。また、青森駅から在来線で青函トンネルを通過するのも、新幹線が走る今ではなかなか出来ないことです。

寝台特急にも乗ったことがなかったので、ブルートレインで一夜を過ごすのも最初で最後。こちらはベッドがある客車の写真ですが…

我々は椅子席です。夕食は米と筋子。食事の後は、眠くなるまでリンゴ酒でしっぽりと。きっと私は昭和時代には当たり前の、こうした旅の楽しみ方を知っている最後の世代(当時20歳)になるかもしれません。

2014年9月1日午前1時、北海道・函館駅に到着。青函トンネルは入った瞬間も、出た瞬間も分からず。車内での記憶はほとんどないので、それなりに寝ることが出来ていたのだと思います。

朝5時、北海道の大地の向こうから太陽が昇り始め、太陽の光で目が覚めました。車窓には北海道を感じさせる景色が広がります。

はまなすで札幌駅に到着した後にやって来たのは余市駅です。

神威岬で積丹ブルーの絶景を見る

余市駅から路線バスに乗車し「神威岬」を目指します。

1時間半ほど揺られ、神威岬の手前にあるバス停「島武意海岸入口」で降車。

バス停から少し歩いた場所にある、こちらのトンネルを抜けた先には…

美しい海の景色が広がりました!これが求めていた積丹(しゃこたん)ブルーです。

北の大地・北海道といえど、この時期はまだまだ暑いですが、海の水はとても冷たかったので、泳ぐことはしませんでした。

波打ち際には、積丹の名物である大きな「ウニ」がごろごろ転がっていたのが印象に残っています。

そしてここで私は、デジカメをバス車内に忘れてきたことに気が付きました。余市から乗ってきたバスは、終点・神威岬で折り返し、再び島武意海岸へやって来ることになっていたので、折り返しのバスを待ち、デジカメを取り戻すことが出来ました。

続いてはバスの終点・神威岬へ。神威岬は積丹半島の先端にあたるスポット。バス停周辺は広めの駐車場になっており、お手洗いやお土産屋さんもあります。

こちらが岬の先端までは続く遊歩道。青空へ向かって伸びる階段。神威(カムイ)はアイヌ語で「」を表しますが、その名にふさわしいロケーションです。

遊歩道は高さ約80mにもなる海食崖に整備されており、眼下にはここが北海道であることを忘れさせるような、コバルトブルーの絶景が広がります。

女人禁制の門」に到着。ここから先は明治時代まで女人禁制となっていたそうです。

岬の先端まで続く約770mの道は「チャレンカの小道」呼ばれています。チャレンカとは、源義経と恋に落ちたとされるアイヌの酋長の娘の名。義経は平泉で自害したというのが通説ですが、実は生き延びていて、北海道へ渡ったという伝説があるのです。

平泉から逃げた義経は、この北の大地で義経はチャレンカと出会いましたが、源頼朝に生存を知られると、義経は再び逃げることとに。チェレンカは義経の後を追って、神威岬までやってきたそうですが、時すでに遅し。

義経の船ははるか沖へ行ってしまい、チャレンカは悲しみのあまり身を投げてしまいました。それ以来、女性を乗せた船が神威岬近づくと必ず転覆したことから、神威岬は女人禁制の地になったと言われています。

一方で、1892年に作られた神威岬灯台は、「恋する灯台」のひとつに認定されています。

それにしても美しい積丹ブルーです。周辺はニセコ積丹小樽海岸国定公園になっていることに加えて、北海道で唯一の海中公園にも指定されています。

また、眼下の積丹ブルーにばかり目が行きがちですが、ワイルドな景観も見どころのひとつです。

風が強い時は女人禁制の門が閉められて、こちらの遊歩道も通行止めとなるそうです。この日は本当にいい天気で、絶景を楽しむことが出来てラッキーでした。

小樽運河を観光

神威岬からは再び路線バスに乗車。余市駅から鉄道に乗り換えて小樽へやって来ました。少しだけ駅前を観光します。

駅から15分ほど歩いてやって来たのは、定番の観光スポット「小樽運河」。海面を埋め立てて作られた全長1,140mの運河沿いには倉庫が並び、1923年の竣工から戦前まで、船で運ばれる荷物の運搬作業を効率的に行うための役割を果たしました。

明治時代、札幌を北海道開拓の拠点にするため、物資の供給基地として本格的に整備された小樽港。1880年には、北海道初の鉄道「官営幌内鉄道」も開通し、幌内炭鉱で採掘された石炭が小樽へ運ばれました。

■ 参考:北海道の鉄道の歴史

石炭需要の低下や港湾貨物の情勢変化等により、戦後に小樽港は衰退。ヘドロとゴミが溜まる小樽運河の埋め立てをめぐる「運河保存運動」も起こり、現在のように観光地化されたのでした。

ガス灯が灯り、ライトアップされた夜の幻想的な小樽運河の景色は有名です。このガス灯も古いものではなく、運河の一部埋め立てを伴う観光地化工事(1983年)の際に設置されたものであることはあまり知られていません。

倉庫群も「倉庫」としての役割は果たしておらず、「びっくりドンキー」などのお店が入っています。恐らく観光客も小樽運河の歴史に興味は無いと思うので、まるでテーマパークのような雰囲気です。

少々の小樽観光を楽しんだ後、札幌駅に到着しました。どうやら夏の時期は、札幌駅や小樽駅から、神威岬へ直行するバスもあるようですが、今回は北海道&東日本パスを利用しての旅なので、札幌↔余市間は鉄道を利用したのでした。

札幌観光は難しい

2014年9月2日、この日は1日ノープラン。札幌観光をする予定でしたが…

札幌は福岡・名古屋と並んで「観光が難しい都市」のひとつだと思います。どこへ行けばいいか分からず、とりあえずやってきたのはHTBこと「北海道テレビ」です。

北海道テレビの横にある平岸高台公園は、「水曜どうでしょう」のオープニングとエンディングの撮影に使われていることから、旅好きの聖地になっています。

続いてやって来たのは「厚別公園競技場」。平日のお昼過ぎにも関わらず、入口には長い列が出来ていました。

ここで行われていたのはサッカー日本代表のトレーニング!たまたま情報を得て、見学無料だったので来てみました。

アギーレ監督は日本代表を率いた期間が短かったので、有名な選手たちとアギーレ監督が並ぶこの写真は貴重なものとなりました。

見学無料ということを考えると、「これしか人がいない」と言えるでしょう。当日の朝に偶然知ったイベントでしたが、いい場所に座って、じっくり見学することが出来たので良かったです。

夜はホテルで部屋飲み。「北海道ならでは」を求めて、すすきのなどへ出向くのが一般的だと思いますが、私たちにとってはこれで十分でした。

函館本線で札幌から函館へ

2014年9月2日、朝テレビを付けると、日本代表トレーニングの様子が放送されていました。この日は札幌駅から函館本線を乗り継いで函館駅まで移動します。

Wikipediaによると、昆布駅の正確な名前の由来は不明。海沿いであれば海藻の昆布かと思いますが、この駅があるのは内陸。アイヌ語で「小さいコブ山」という意味から来ている説もあります。

蕨岱(わらびたい)駅。北海道名物の貨車駅舎ですが、2017年に廃止となりました。

室蘭本線との合流地点である長万部駅に到着。ここで列車を乗り換えますが、少し時間があるので、駅周辺を散策します。

長万部といえば「まんべくん」。ポスターの子供たちも怯えていますが、Twitterで暴れて大炎上するなど、変な方向で有名なゆるキャラです

まんべ君の見た目は、長万部町の名産品であるカニ・ホタテガイ・アヤメを組み合わせたデザイン。Twitterは閉鎖となりましたが、現在はAIでまんべくんと話すことが出来ます。さらに、観光協会も「まんべくん出没情報」なるページを用意しており、AI化された今もその独特なポジションは健在です。

★AIまんべくん★

AIまんべくんの部屋
AIになったまんべくんと、おしゃべりしてみよう!

★まんべくん出没情報★

長万部観光協会:プライバシーポリシー
長万部観光協会

長万部では、駅から20分ほど歩いた場所にある温泉に入りました。乗り換え時間でお手軽に温泉に入れるのは、なかなか贅沢なことです。

長万部駅に戻ってきました。ここから函館駅までは3時間ほどかかります。

17時半前、函館駅に到着しました。この日の宿は、23時に函館港を出港する青函フェリーです。

函館の夜景を見る

船の時間まで暇なので、函館駅から路線バスに乗車し、やって来たのは函館山の山頂。ここから見る函館の夜景は「日本三大夜景」のひとつに数えられます。

美しい景色はまったりと楽しみたいものですが、それにしてもすごい人の数。東アジアの方が多く、外国語が飛び交う独特の雰囲気です。

残念ながら曇っていますが、函館山の夜景は夕方から夜への移り変わりが美しいとされています。何とかポジションを確保し、函館の街に明かりが灯っていく様子を見ることが出来ました。

肉眼では非常に美しい景色を楽しむことが出来ましたが、スマホはもちろん、安いデジカメで、しかも混雑している中で、夜景を撮るのは非常に難しいです。こちらの写真は真っ暗になってしまっていますが…

その直後に撮ったこちらの写真は明るいです。手振れ感も否めません。

函館の夜景は100万ドルの夜景と言われ、「日本三大夜景」だけでなく、「世界三大夜景」のひとつにも選ばれています。長崎や北九州など、函館以外の有名な夜景も見てきましたが、私は函館の夜景が好きです。

冬の街に雪が積もった状態での夜景や、夜景が消えて朝を迎える、通称「朝夜景」もおすすめ。

人が少なくなった深夜は、車が通る道路を歩くことも出来るので、歩いて函館山を登るのも面白いです。眼下の夜景だけでなく、見上げた星空も美しいことはほとんど知られていないと思います。

ちなみに、夜景の中に「ハート」という文字が浮かび上がるという話もありますが、見つけることは出来ず。

青函フェリーが出港する函館港はこの写真には写っていません。海沿いの弧をさらに西へ行った、五稜郭駅が最寄りです。山頂には1時間ほど滞在し、再びバスで山を下りました。

函館山の山頂から路線バスに乗り、函館駅に戻ってきました。時刻は20時。船の出港まで、まだ時間があります。

北海道に上陸してからまともにグルメを楽しんでいなかったので、駅前にある屋台村「大門横丁」へやって来ました。

こちらは北海道のスター・大泉洋さんのサイン。函館といえば塩ラーメンなので、塩ラーメンを食べたはずですが、残念ながら記憶も写真もありません。相当疲れていたのだと思います。

グルメを楽しんだ後は、いよいよ船に乗るため、函館駅の1駅お隣・五稜郭駅へ移動。

五稜郭駅から港までは、約2km歩きます。

青函フェリーターミナルに到着。青森と函館を結ぶ船会社はもうひとつ、津軽海峡フェリーがあります。青森では同じ場所から出港ですが、函館では両社の港が少し離れているので、間違いのないように注意が必要です。

23時、青森行きの青函フェリーに乗船。北海道&東日本パスとは別料金になりますが、学割が使えるので、料金は2000円くらいしかかかりません。

さらば北海道。街の灯りが離れ、闇夜に船が進んでいく様子は、少し寂しさを感じさせます。

夜食に函館のご当地バーガー「ラッキーピエロ」を食べて就寝。青森に到着するのは翌朝3時前です。

そして2021年9月3日の3時38分、本州の地に戻ってきました。意識をしていたからか、目が覚めるとちょうど、船が青森港への接岸作業をしているところでした。

青森港から青森駅までは30分ほど歩きます。

青森駅に到着。まだ4時半前ですが、ホームは明かりで照らされていました。

始発電車の時間まで、かつての青函連絡船の線路の横に敷かれた芝生の上でごろ寝。30分ほどして、朝露の冷たさと夜明けの空の明るさで、目が覚めました。

時刻は5時前、山の向こうから太陽が昇るようです。空が焼けてきました。

凄い色の空になりました。旅の最後の朝に、いい景色を見ることが出来てよかったです。この日は普通電車を乗り継いで、青森から東京まで、ひたすら移動する1日となりました。

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今回はここまで。本日もありがとうございました。

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