フェリー波之上特別便 海上集会を見物 航路上を3周し沖縄から与論島へ!|2022旅行記2

南国日記~沖縄移住の記録~

ブログをご覧いただきありがとうございます。

今回は「沖縄から日帰り与論島の旅」その2をお届けします。

★前回の記事★

海上を3周するフェリー波之上

沖縄・那覇からフェリー波之上に乗船し、与論島へ向かっています。

本部港出港後、しばらくすると船は減速。航跡からも、ゆっくり航行していることが分かります。

船内にいた皆さんもデッキに出てきました。これからこの船は、沖縄本島と与論島の間で行われる「海上集会(再現)」に合わせて、海の上を3周します。

メディアのヘリコプターもやって来ました。

海上には沖縄・国頭村と、鹿児島・与論町からやって来た漁船が集まっています。その背後に見えているのが与論島です。

そしてこちらが沖縄本島。ここから船は、漁船の周囲を3周します。

ゆっくりと進路を変えて、船の後方に与論島が見えるようになりました。

海上集会の漁船に波の影響が出ないよう、慎重に航行している様子が伺えます。

漁船たちが集まって、何かやり取りをしていると思われますが、その詳細までは分からないくらいの距離感を保っています。

そしてまた、沖縄本島が船の後方に見えるようになりました。ここから2周目へ。恐らく、海上に転落した人が出た場合を除いて、船がこうした動きをするのはとても珍しいことです。

そして3周を終えると、フェリー波之上は速度を上げて与論島へ向かいました。

海上集会とは~与論と国頭の歴史~

今回の海上集会は、沖縄の本土復帰50周年を記念して行われました。

1952年4月28日、サンフランシスコ平和条約の締結によって奄美群島や沖縄は米軍の統治下に置かれました。沖縄では「屈辱の日」と呼ばれ、今回の海上集会も4月28日に開催されました。

奄美群島は1年で返還されましたが、沖縄の米軍統治は1972年まで続きます。沖縄本島最北端・辺戸岬と奄美群島最南端・与論島の間の海が国境となり、約20kmしか離れていない沖縄と与論島を行き来するためにはパスポートが必要でした。

海上集会は沖縄の本土復帰運動が盛んになった1963年から1969年にかけて、毎年4月28日に行われていました。再現が行われるのは復帰40周年の時以来、2回目とのことです。

島にいつから人が住んでいたのかは不明ですが、1266年に琉球の英祖王に貢物を贈ってから数百年間、与論島は琉球の島のひとつでした。1609年、薩摩・島津氏による琉球侵攻の結果、沖縄(琉球王国)と与論島(薩摩国)は分断されることとなりました。

サンフランシスコ平和条約が締結された1952年の秋、北緯27度半以北が返還されるという報道が出ました。北緯27度半は徳之島と沖永良部島の間。つまり、沖永良部島与論島は引き続き米軍統治下が続くということです。

これに奄美群島の人々は猛反発。沖永良部と与論島も奄美の島であるという運動が展開され、両島は奄美群島の島々と共に日本本土へ復帰しました。与論島が鹿児島県の島であることを印象付ける出来事とも言えるでしょう。

その後、与論島は本土と沖縄の間で行われる非正規交易(密貿易)の拠点となりました。沖縄からは米兵の作業着、医療新薬、ドル紙幣、食料品、嗜好品、銅線、自動車、ガソリン等が提供され、日本本土からは生活用品、衣料品、材木等の建築資材、奄美群島からは米、穀物類、野菜類等の食料が運びこまれました。

密貿易は命がけで、非合法な商業活動ではありますが、戦後の奄美経済を活性化させました。奄美大島・名瀬の市街地は、ヤミ商売で資金を蓄えた大島商人によって形成されたとも言われています。

■参考:その1

■参考:その2

かつての日本最南端・与論島上陸

海上集会の現場から与論島へ向かうまで、デッキでは取材が行われていました。

私もこの辺りを何往復かして、取材の声が掛かるのを待っていましたが、私への取材はありませんでした(笑)

鹿児島県・与論島が見えてきました。

今は国境がありませんが、この海を越えて与論島に来ると、沖縄では映らない日本テレビの放送を見ることが出来ます。

海の上をゆっくりと3周した影響で、通常よりも約30分遅れての入港です。

潮汐と太陽光の加減からか、船の上から見る与論島・供利港の海は大変美しいものでした。

大きなトラックを運ぶような船が入る港で、これだけ海が綺麗な場所はなかなかありません。

海中のサンゴがはっきりと見えています。一方で、こうしたサンゴに船が乗り上げる可能性もあるはずです。入港作業は慎重に行われます。

そして到着!フェリー波之上の貴重な航海に乗ることが出来てよかったです。

与論島に上陸すると、国頭村交流団のお迎えの方々がいました。国頭村の皆さんは、この日与論島で行われる本土復帰50周年イベントに参加するものと思われますが、私は滞在時間が約2時間しかないので、島内のイベントを見学することは出来ません。

港にはJR貨物のコンテナがありました。今回の乗船で、昔から今も、島の物流や人流は船が支えていることを改めて実感しました。

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今回はここまで。本日もありがとうございました。

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