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今回は「2018年 冬 小笠原諸島旅行記」その2をお届けします。
★前回の記事は こちら ★
船が片道3万円
2018年12月4日11時、東京・竹芝桟橋から父島へ向けて24時間の船旅が始まりました。
前回の記事で、小笠原諸島へ行くためには最低5泊6日の日数が必要であることをご紹介しました。日数ともうひとつ、小笠原を観光するには欠かせないものがあります。
それはお金です。島への唯一のアクセス手段・おがさわら丸の運賃は月ごとに変動しますが、2022年7月は最も低い等級の二等和室でも片道3万3千円かかります。
小笠原諸島の旅行にかかる費用
往復の船代に加えて、小笠原諸島ではキャンプ・野宿が禁止されているため、最低3泊分の宿泊料金と食費が必要です。島内で最も安いと思われる小笠原ユースホステルでも、1泊素泊まり5,000円を超えます。
■ 参考:小笠原ユースホステルが面白い
さらに、世界自然遺産にも登録された小笠原諸島の大自然を楽しむには、ツアーや体験に参加するのが一般的で、その参加費も必要です。まとめると、小笠原諸島への旅行では、5泊6日の休みに加えて、最低1人10万円近くのお金がかかる計算になります。
格安!謝恩ツアーがおすすめ
今回は小笠原海運が年に1度行っている謝恩ツアーに参加したので、少々お得な旅をすることが出来ました。
船と宿のセットプランで、小笠原滞在中の行動は自由。添乗員さんがいたり、他のツアー参加者と一緒に動いたりというようなことはありません。ツアー参加者限定の割引券やクーポン券が付いて、最も安いコースだと47,000円。宿は事前に指定されていましたが、それ以外は普段の小笠原旅行と何ら変わりません。
さらにこの年の謝恩ツアーは、伊豆諸島と小笠原諸島で利用出来る電子通貨・しまぽとのタイアップにより、47,000円からさらに9,000円引きの値段で販売されていました。対象の日程がいくつか設定されており、事前に電話で申し込みをすると、おがさわら丸の乗船引換券と宿泊バウチャーが自宅に届きます。出発当日はそれらを持って、おがさわら丸に乗るだけです。
仕事を辞めて、ちょうど時間があるタイミングでこうしたツアーが出るのは、「とりあえず小笠原に行け」と言われているようなものです。謝恩ツアー参加者が乗船しているからか、出港時には小笠原諸島のゆるキャラ「おがじろう」の見送りがあったり、船内で観光レクチャーがあったりと、所々で特別感はありました。
冬の海へ!おがさわら丸 24時間の船旅
冬は荒れることが多い伊豆諸島・小笠原諸島方面の海。揺れる船旅になる覚悟をしていましたが、幸い大した揺れはありませんでした。船での記憶や写真はあまりなく、基本的には寝ていたような気がします。
■ 参考:時化のおがさわら丸でノックダウンした話
翌朝、日の出とともに開放されたデッキへ出ると、幻想的な景色が広がっていました。前日まで吹きつけていた冬の冷たい風も、暖かく穏やかなものになっています。「南へ向かっているんだな」と実感させられる瞬間です。
太陽が昇りました。時刻は6時40分。父島到着まではまだ4時間以上あります。朝食に持参した菓子パンをつまんでから二度寝。
それから約2時間後、船内放送で目が覚めてデッキへ出ると、水平線の先にうっすらと島影が見えました。小笠原諸島は約30の島々で構成されており、一番南は沖ノ鳥島、一番東は南鳥島、そして見えている北之島が一番北に位置する島です。
北之島を通過してから約2時間、いよいよ父島の集落が見えてきました。北之島が見えてからはずっとデッキにいたので、潮風を浴びて髪がボサボサ。船内の無料シャワーを浴びてから下船します。
おがさわら丸は10分遅れで父島に到着。普段は父島到着が遅れることはほとんどありません。船が揺れた気はしませんでしたが、もしかしたら私が寝ている間に、波風の影響を受けたのかもしれません。
■ 参考:冬の太平洋は荒れている
父島では港で宿の方と合流するのが一般的。今回の宿は事前に指定されたコンドミニアムBalenaです。島のメインストリート「湾岸通り」沿いにある宿で、部屋にはキッチンも付いていました。
父島を歩いて観光
部屋に荷物を置いて、午後はまったりと集落周辺を歩いて過ごすことにします。
まずやって来たのは小笠原水産センター。ここは東京都が管理している無料の水族館のような場所で、ウミガメをはじめ、小笠原の海で見られる魚などが飼育・展示されています。集落や港から近いので、多くの人が訪れるスポットです。
この水族館の人気者はアカハタ(小笠原方言では「アカバ」)。アカバさんは人間の歯ブラシを近づけると、口を開けて近づいてくるので、アカバの歯磨きを体験することが出来ます。
続いて向かったのは、港から40分ほど歩いた場所にある展望台「ウェザーステーション」。
道は綺麗なので、車や原付では楽に行くことが出来ますが、途中からはずっと登り坂なので、歩くと少々息が上がります。
到着しました。ウェザーステーションは島民やリピーターなど、多くの人の親しまれている展望台です。
今回はウェザーステーションからさらにその先の「三日月山展望台」へ。GoogleMap上では集落へ一度戻ってから向かう道が案内されていますが、実際はウェザーステーションの駐車場から遊歩道が続いています。
遊歩道を少し歩くと開けた場所に出ました。海の向こうに見えているのは無人島・兄島です。
こちらが三日月山展望台からの景色。父島の集落を見渡すことが出来ます。
展望台の近くには、戦時中の壕もありました。戦争の時、全島民が島外へ避難したため、人口がゼロになった小笠原諸島。本格的に島へ人が戻り始めたのは1968年の返還以降で、今では島民のほとんどが移住者です。
■ 参考:小笠原諸島の歴史をまとめてみた
夕陽を見る
ウェザーステーションでは、水平線に沈む太陽を見ることが出来るため、夕陽の時間には多くの人が集まります。
この日は早々に太陽が雲の中へ隠れてしまい、夕焼けは微妙でした。また、これだけ雲が多いと、夜の星空も厳しそうです。暗くなる前に宿へ戻りました。
父島滞在2日目は「コペペ砲台」から夕陽を見ることに。GoogleMapで調べても出てこなければ、看板も無いので、知る人ぞ知る穴場スポットです。
コペペ海岸の駐車場手前の道路沿いにある、山へ入っていく舗装されていない道(かつての軍道)を5分ほど歩くと、太平洋戦争中に作られた壕(トーチカ)があります。
【トーチカ】とはロシア語で「点・地点」の意味。壁は鉄筋コンクリートで固められており、ここには立派な大砲がひとつ、そのままの姿で残されています。
戦時中、米軍が父島に上陸することはありませんでしたが、空襲や艦砲射撃は行われ、犠牲になった人もいます。きっと、ここで夕陽を眺めていた兵隊さんもいたことでしょう。
グリーンフラッシュを見ることは出来るか
この日は天気がよかったので、私は「グリーンフラッシュ」を期待していました。
グリーンフラッシュは、太陽が水平線に沈む直前、太陽の縁で見られる緑色の光のこと。空気が澄んでいることなど、観測には様々な条件があり、ハワイでは「見た人に幸せが訪れる」と言われています。
私は何度か小笠原を訪れていますが、まだ一度もグリーンフラッシュを見たことがありません。そもそも、水平線に雲がある場合が多く、太陽が水平線に沈むことは少ないです。
この日は水平線に雲が無いようで、太陽が水平線に接する様子が見えています。いよいよここからです。果たしてグリーンフラッシュを見ることは出来るのか…
しかし、グリーンフラッシュがどのような光なのか、事前に動画などで調べることはしていなかったので、あまりイメージが湧きません。また、ここで夕陽を見ているのは私1人なので、教えてくれる人もいません。
数秒間じわじわ光るのか、それとも一瞬の光なのか…
そろそろ緑色に光るのでしょうか。
あら、沈みました。結局この日、グリーンフラッシュは見られませんでしたが、美しい夕焼けを楽しむことが出来てよかったです。
ちなみに、太陽が水平線に接してから沈むまでの時間は約3分。この場所にいたのは約30分。夕焼けの時間は刻一刻と景色が変化します。
朝陽を見る
夕焼けと同様、滞在中は2日連続で朝焼けも見に出かけました。
父島滞在2日目に向かったのは長崎展望台。正面には兄島があり、晴れた日の日中は「ボニンブルー」と称される小笠原の海の青さが際立つスポットです。
その途中で「とびうお桟橋」へ寄り道。この道路沿いから桟橋の海を見下ろすと…
絶滅危惧種「シロワニ」がいました。本来はダイビングで見られるようなサメですが、夜から早朝の暗い時間は、この場所に姿を現すことが多いのです。
50分ほど歩いて長崎展望台に到着しました。しかし、やはり雲が多く、水平線から昇る太陽を見ることは出来ず。淡く空が焼けて、いつの間にか明るくなって終わりました。
父島滞在3日目の朝はレンタルしていた原付があったので、集落から少々離れた「中央山」へ。海に面した展望台ではありませんが、父島で最も標高が高いポイントになるため、海まで見渡すことが出来ます。
周囲には霧がかかり、日の出直前の時間、周囲360度が赤紫色に染まりました。こんな景色を見る機会はなかなかありません。
霧の中から太陽が出てきました。霧の影響で日差しが弱く、肉眼でも太陽の形が分かります。
滞在3日目はいい天気になりそうです。この日は1日海のツアーへ出かけました。
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今回はここまで。本日もありがとうございました。
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