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今回は「2026年 久米島旅行記」その2をお届けします。
★前回の記事は こちら ★
久米島の人口と産業
2026年1月2日、沖縄・久米島を日帰りで観光。歩いて島を1周しています。具志川城跡を観光し、続いて向かうのは絶景スポット「比屋定バンタ」です。

海岸沿いから坂道を上り、標高約100mにある仲村渠(なかんだかり)集落にやって来ました。
水が豊かな島の産業

沖縄特有の赤い土に立派な大根が育っています。沖縄県の伝統的な食文化データベースによると、沖縄県内では中城村・那覇市鏡水・名護市屋部・津堅島、そして久米島などで在来のダイコンが栽培され、それぞれ形状および風味が異なるそうです。

久米島は農業の島。2020年の国勢調査によると、就業人口のおよそ2割が農業に従事しています。その柱となっているのは、他の沖縄の島々と同様に、さとうきびと畜産(肉用牛の精算)です。
■参考:人より牛が多い島へ


こちらは赤嶺パイン園。営業していれば、パイナップルジュースやカットパインを味わえたり、畑を見学できたりするようですが、あいにくこの日は開いておらず。

周辺ではパイナップル畑を見ることができました。

ただ、久米島のパイナップルについて調べてみても、それほど情報が出てこないので、島全体で生産が盛んというわけではなさそうです。

ここからは県道242号線を歩きます。

道沿いの家でバナナが販売されていました。本業ではなくても、野菜や果物を生産している人は多いのでしょう。

がーでんきっちん&かふぇ城では「久米島そば」を食べることができます。GoogleMapでの評価も高いお店です。

そして、久米島と言えばやっぱり泡盛「久米島の久米仙」です。沖縄県内でも最大級の規模を誇る酒造所にやってきました。創業は1949年。大規模な泡盛生産の背景にあるのも、島の豊かな水資源です。

今では全国のコンビニでも見かける、泡盛を代表する銘柄のひとつとなっています。敷地内には久米仙の直売所もありますが、この日は営業しておらず。直売所では試飲も楽しめたり、さらに事前に予約をすると、工場を見学したりすることもできるそうです。
久米島の人口
2002年に久米島にあった具志川村と仲里村が合併し、久米島町が誕生しました。

豊かな水は人々の暮らしを支える基礎となります。2020年の国勢調査によると、町の人口は7,192人。なお、久米島町を構成するのは、久米島本島だけではありません。
海中道路でつながる奥武島、1世帯8名が暮らすオーハ島、米軍の射爆撃場となっている鳥島、そして久米島から遠く離れ、鹿児島県徳之島の西方に浮かぶ硫黄鳥島(県内唯一の活火山島)など、あわせて5つの島からなります。
■参考:硫黄鳥島が沖縄県である理由


信号機がありました。見通しもよく、車通りもほとんどないこの場所に、なぜ信号機が必要なのかというと…

教育用です。信号機のそばには比屋定幼稚園・比屋定小学校・比屋定中学校がありました。しかし、2007年に比屋定中学校は統廃合により閉校。比屋定幼稚園も2016年に閉園。そして、2026年には比屋定小学校も休校となりました。人口減少と高齢化が進んでいることが伺えます。

町指定天然記念物「タキンダの松並木」という案内柱が立っていますが、道路沿いに松並木らしきものはありません。これも人口減少で管理が行き届かなくなり、姿を消してしまったのでしょうか。
絶景スポット 比屋定バンタ
11時、比屋定バンタに到着しました。「バンタ」は沖縄の方言で「崖」のこと。高さ200mの断崖絶壁からのオーシャンビューを楽しめる絶景スポットです。

こちらが比屋定バンタからの景色…と言いたいところですが、正面の写真を撮っていませんでした。私が撮ったのは、明らかに周囲とは海の色が違う場所。あそこが久米島で最も有名な観光スポット「はての浜」です。

はての浜は、久米島の東5kmの海上に浮かぶ無人島(砂州)。久米島から出ているツアーの船で上陸することが出来ます。また、手前に見えている小さな島が、1世帯8人が暮らす謎の島・オーハ島です。

駐車場は広く、お手洗いもありました。ドライブインも併設されていますが、あいにくこの日は営業はしておらず。一般的に、年末年始は観光の繁忙期ですが、離島はお休みの場所が多いです。

さらに、ポケモンのマンホールも設置されていました。車海老生産量日本一の島ということで、エビをモチーフにしたと思われるポケモン「ウデッポウ」が描かれています。
続いては、3.5km歩いた先にある「久米島紬の里 ユイマール館」へ。この道中でも絶景を楽しむことができました。

まずはこちら。この場所から見えている岬の先端まで歩き、そこから海中道路で繋がっている奥武島へと渡ります。

こちらは久米島漁協がある真泊港。写真の右中央をよく見ると、海に小さな橋がかかっています。この橋の名は「シールガチ橋」です。

橋の下は浅瀬を掘って造られた漁船の航路となっています。潮が引いたとき、浅瀬を歩いて漁や釣りに向かう人が、うっかりこの深い水路に落ちないように架けられたのだそう。今回は干潮のタイミングが合わなそうなのでパスします。

GoogleMapの案内に従い、県道242号線を外れて未舗装路へ。こうした冒険が、歩いて島を旅する醍醐味といえるでしょう。
伝統工芸「久米島紬」を見学
11時40分、久米島紬の里 ユイマール館に到着しました。

「紬発祥の地」とも言われる久米島。ユイマール館は、島の伝統工芸品「久米島紬」の作り手・久米島紬事業協同組合が運営する工房です。入場料は200円。靴を脱ぎ、スリッパに履き替えて見学します。

久米島紬の歴史は古く、琉球王国時代に「堂の比屋」という人物が、中国で学んだ養蚕の技術を、島に持ち帰ったのが始まりです。やがて、島で育まれた紬の技術が、沖縄本島から奄美大島を経て本土へと伝わり、大島紬や結城紬といった織物のもとになったと伝えられています。
■参考:奄美大島で大島紬の資料館を見学


琉球王国の時代には、この紬が税として納める「貢納布」となり、江戸では「琉球紬」と呼ばれてもてはやされたといいます。こうした伝統的な技術が高く評価され、2004年には、国の重要無形文化財に指定されました。

久米島紬はひとつひとつが手作り。紬を使った衣類も販売されていますが、さすがにお土産に気軽に買えるような値段ではありません。ガチャガチャであれば、500円で久米島紬をお土産に持ち帰ることができます。
真謝集落を散策
ユイマール館には10分ほど滞在しました。
続いて向かうのは、久米島と海中道路で繋がった島・奥武島です。約3.5km、50分ほど歩きます。

こちらはユイマール館がある「真謝」という集落。かつての真謝港には、天候の回復や、風がやむのを待つ多くの船が寄港したそうです。今も集落には「天后宮」という廟が残り、「媽祖(まそ)」という、中国で古くから信仰されてきた航海安全の女神が祀られています。

1756年、中国からの冊封使を乗せた船が真謝港の沖で遭難。これを久米島の人々が総出で救助し、無事に那覇まで送り届けたそうです。冊封使の一行はこれに深く感謝し、1759年に琉球国王・尚穆王を通じて、この廟を建立したと伝えられています。県指定の有形文化財です。
■参考:1

また、こちらは天后宮の横にある「教育者 歴史家 仲原善忠先生 生誕の地」。仲原氏は、1890年にこの地に生まれ、おもろさうし研究など沖縄研究に多大な功績を残した人物として紹介されています。

そんな仲原氏の家は2013年に改修され、現在はコワーキングスペースとして活用されているようです。
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今回はここまで。本日もありがとうございました。
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久米島は農業の島。2020年の国勢調査によると、就業人口のおよそ2割が農業に従事しています。そして久米島といえば、泡盛「久米仙」。大規模な泡盛生産の背景にあるのも、島の豊かな水資源です。豊かな水は人々の暮らしを支える基礎となります。2020年の国勢調査によると、町の人口は7,192人。人口減少と高齢化が進んでいます。
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