父島返還祭に参加!小笠原ならではのブースと島の歴史を一夜に映し出すステージ|2026 旅行記3

島旅

ブログをご覧いただきありがとうございます。

今回は「2026年 小笠原旅行記」その3をお届けします。

★前回の記事は こちら ★

小笠原・父島返還祭に参加

2026年6月27日、小笠原諸島・父島に滞在中です。今回、小笠原にやって来た一番の目的は「返還祭」です。

太平洋戦争後、南西諸島の島々と共に、米軍の統治下となった小笠原諸島。1968年6月26日の本土復帰を記念して、毎年、返還記念日に近い週末に、父島と母島でそれぞれ返還祭が開催されます。2026年は、6月27日に父島、翌28日に母島で行われました。

■参考:小笠原諸島の歴史

小笠原諸島に人が住み始めた理由~ポイントは植民地拡大と捕鯨活動の歴史|2016 小笠原旅行記4
日本本土から遠く離れた小笠原諸島に人が住み始めた背景には、1800年代の欧米諸国による植民地拡大と捕鯨活動の歴史があります。最初に小笠原を発見したのも、島へ定住を始めたのも、日本人ではなく欧米人と太平洋の島々の人々。イギリスとアメリカが領有権を争った後、1876年に日本領土であることが国際的に認められました。

父島返還祭のスタートは夕方5時。1時間前から場所取りが始まります。私が泊まっていた小笠原ユースホステルでは、宿が場所取りをしてくれるので、自分で慌てて席を確保する必要はありませんでした。

小笠原ならではのブース

小笠原の返還祭は「式典」という雰囲気ではありません。終始にぎやかな空気に包まれ、出店もたくさん出ています。

その出店で提供されているメニューも、メカジキ串に島寿司、グアバうどん、海亀の煮込みと、小笠原ならではです。

■参考:沖縄の夏祭りの出店

沖縄のお祭りは独特?名護夏祭りへ!屋台に並ぶ沖縄グルメ 観光にもおすすめ|2019 沖縄旅行記
毎年名護漁港で行われている名護夏祭りは、沖縄本島北部を代表する夏のビックイベントとして知られています。ビールまつりですが、会場は子供が多く独特の雰囲気。屋台には沖縄グルメが並ぶので、観光で訪れても楽しめるはずです。会場に遊園地のようなアトラクションが設置されているのも沖縄ならではの光景かもしれません。

運営を担うのは父島返還祭実行委員会。その事務局は村役場の総務課に置かれ、いわば村ぐるみの行事ですが、2026年の父島返還祭の情報が村のホームページに載ったのは、本番のわずか5日前。観光客向けのイベントというより、島の人々のための祭りなのでしょう。

ただ、「返還」の意味を強く打ち出した演出はなく、平和宣言や黙とう等もありません。ステージで披露されるのは、島っ子や島民による歌と踊りです。もちろん、観光客も普通に参加することができます。

こちらは「しまじま福笑い」というブース。世界自然遺産15周年記念のパネルゲームに無料で参加できるということで、挑戦してみることに。

父島列島と母島列島の島々を、正しい位置と向きに並びかえるゲーム。制限時間は2分ありますが、向きまで揃えるのはなかなか難しかったです。

それでも何とか正解して、ノベルティをいただきました。

小笠原の歴史を一夜に映し出すステージ

小笠原の返還祭が厳粛な式典ではなく、こうした賑やかな祝祭の形をとっているのは、この島の歴史と無縁ではないのかもしれません。

島っ子たちによる演奏

戦時中、全島民の強制疎開によって、小笠原は一度「人口ゼロ」になりました。戦後も、本土復帰までは、欧米系の血を引く島民以外の帰島が許されず、戦前から島に住んでいた「旧島民」で、実際に島へ帰った人はわずかだったといいます。

■参考:南洋群島と太平洋戦争の歴史

トラック環礁 沈没船シュノーケル!南洋群島と太平洋戦争の歴史を知る|ミクロネシア旅行記3
ジープ島滞在2日目はトラック環礁のシュノーケルツアーに参加。少し潜ると沈没船がありました。これは太平洋戦争時代に日本軍が使用していた戦艦。サンゴがびっしりと付いて、今は魚たちの住処となっています。なぜここに日本の船が沈んでいるのでしょうか。今回はミクロネシアを中心に、南洋群島と太平洋戦争の歴史をご紹介します。
小笠原のマスコットも勢ぞろい

代わりに増えたのが、小笠原にルーツを持たない移住者、通称「新島民」です。今では、島民のほとんどを新島民が占めています。返還そのものを直接体験した人が少ないことも、この祭りのかたちに、どこかつながっているのかもしれません。

こちらはミクロネシアから伝わったとされる「南洋踊り」。大正から昭和のはじめ、当時日本の統治下にあった南洋諸島(サイパンなど)へ渡った島民が、現地の踊りを持ち帰ったのが始まりとされ、2000年には東京都の無形民俗文化財に指定されました。

■参考:南洋踊りの歴史

小笠原諸島の郷土芸能 南洋踊りを体験!都道最東端の地にある楽器との関係|2025 旅行記17
小笠原ビジターセンターで南洋踊りの体験会に参加。ミクロネシアにルーツを持つこの踊りは、東京都の無形民俗文化財に指定されています。また、夜明道路から分岐する巽道路を歩き、都道最東端の地へ。その看板の下には南洋踊りの太鼓「カカ」が置かれていました。
タマナ(和名:テリハボク)の幹をくり抜いて作られた楽器「カカ」の演奏

南洋踊りは、戦争で島民が本土へ強制疎開させられた際、一度は途絶えかけた文化。それでも、故郷を追われた島民たちが疎開先で踊り継ぎ、返還後に島で復活させた経緯があります。いわば、島の人々が手放さなかった小笠原のアイデンティティ。それが返還祭の舞台で踊られるのは感慨深いです。

■参考:1

八丈島の島民による「八丈太鼓」の披露もありました。小笠原の開拓が始まった当初、八丈島から多くの人々が移り住んだそうです。こうした縁から、返還祭の時期には、おがさわら丸が年に一度だけ八丈島に寄港する特別便も運航されています。

■参考:おがさわら丸の出港時に披露される八丈太鼓

おがさわら丸の見送りが盛大である理由~移住者とリピーターが紡ぐ小笠原文化|2025 旅行記8
父島を出港するおがさわら丸の見送りは盛大で、ひとつの名物になっていますが、そもそもなぜ毎便ここまで盛大にお見送りが行われるのでしょうか。今回はその理由を考察しました。おがさわら丸のお見送りは移住者とリピーターが紡ぐ文化です。人と人との距離が少しだけ近いのが、自然に勝る小笠原らしさと言えるかもしれません。

スチールパンは移住者が紡ぐ島の新しい文化。演奏をしているのは、返還35周年のときに開催されたワークショップをきっかけに結成された島民サークル「BSO(ボニンスティールオーケストラ)」です。

21時15分、祭りの最後を飾ったのはフラ。小笠原に初めて人が定住したのは、ハワイなど太平洋の島々から渡ってきた人々。フラは、そんな島の成り立ちにまで遡る、小笠原を代表する文化のひとつです。

ビジターセンターにて

ミクロネシアから伝わった南洋踊り、八丈島から渡ってきた八丈太鼓、そしてハワイにルーツを持つフラ。さまざまな土地の人々が出会い、混ざり合ってできたのが、この小笠原という島。返還祭は、そんな島の歴史を一夜に映し出すような一日でした。

.

今回はここまで。本日もありがとうございました。

★こちらもおすすめ★

日本の南の島!沖縄と小笠原諸島(東京都)の違いをご紹介|観光アイデアノート vol.11
日本にある南の島「沖縄」と「小笠原諸島(東京都)」。その違いについて、旅先で「沖縄は中国・東南アジア、小笠原はハワイの雰囲気」という話も聞いたことがあります。そこで今回は、学生時代に小笠原諸島の研究をし、その後3年半沖縄で暮らした私が、沖縄と小笠原諸島の違いをご紹介します。

太平洋戦争後、南西諸島の島々と共に、米軍の統治下となった小笠原諸島。1968年6月26日の本土復帰を記念して、毎年、返還記念日に近い週末に、父島と母島でそれぞれ返還祭が開催されます。2026年は、6月27日に父島、翌28日に母島で行われました。今回は父島返還祭の様子をお届けします。

小笠原,父島,返還祭,歴史,旅行記

コメント

タイトルとURLをコピーしました