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今回は「橋で繋がった島・瀬長島(沖縄県豊見城市)」をご紹介します。
神の島だった瀬長島の歴史
沖縄本島と海中道路で繋がっている瀬長島。最初に島に住んだのは、琉球を創ったアマミキヨの子・南海大神加那志だったという伝説から、瀬長島は豊見城発祥の地と言われています。
そうした歴史が故に、戦前は【神の島】として扱われていたようです。現在の久高島のような感じでしょうか。
■ 参考:2017年 久高島旅行記
こちらは瀬長島にある、2つの穴が開いた岩。岩に向かって投げた小石が上の穴に入れば男の子、下の穴に入れば女の子を授かるという言い伝えがあることから「子宝岩」と呼ばれています。
現在の子宝岩は2015年に復元されたレプリカで、本物については「沖縄戦の時に破壊された」「戦後米軍によって破壊された」など、諸説あるようです。
米軍基地となる
1944年、米軍の沖縄上陸に備え、瀬長島の住民に退去命令が出され、戦後は島全体が米軍基地の一部となりました。
神の島であるが故、参拝のために島へ訪れる人も多かったそうですが、住民の立ち入りは禁止。拝所などは本島へ移動または破壊された一方で、現在の海中道路はこの時期に作られました。
瀬長島が返還されたのは、沖縄県の本土復帰から5年後の1977年。戦前とは島の地形も変わり、跡地開発はなかなか進まず、不法投棄が目立つ暗い島だったそうです。
2005年に「エアウェイリゾート豊見城地域」に指定されたことをきっかけに、ようやく観光開発の機運が高まり、2012年に「琉球温泉瀬長島ホテル」が完成。2015年には、白塗りのお洒落なお店が並ぶ「ウミカジテラス」も出来て、年間288万人(2018年)もの人が訪れる観光地となりました。
瀬長島の周囲には、時計回り一方通行の道路(1.8km)が整備されています。なお、沖縄本島の一部も「字瀬長」となっているため、島の人口は不明。島全体が商業地として整備されているため、いわゆる【普通の民家】はありません。
288万人の観光客が訪れるリゾート
エアウェイリゾートということで、瀬長島からは那覇空港を離発着する飛行機を間近に見ることが出来ます。
沖縄の美しい海へ突き出るように伸びる那覇空港の滑走路。とても綺麗な写真になります。
那覇空港のホームページに出ている、飛行機の離着陸情報を確認しながら飛行機を見るのも面白いです。しかし、離発着情報が公表されていない飛行機があります。
それは自衛隊の戦闘機。那覇空港では自衛隊の戦闘機も通常の旅客機と同じ滑走路を使用しているのです。
那覇空港では時おり、窓が揺れるほどの轟音が轟きます。これが自衛隊の戦闘機が離陸する時の音です。
訓練もあれば、本当のスクランブル発進もあり、1日数回は飛んでいる気がします。瀬長島でも空気を裂くようなバリバリとした轟音が響くので、迫力満点です。
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今回はここまで。本日もありがとうございました。
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