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今回は「2025年 公共交通機関で行く 北海道の旅」その5をお届けします。
★前回の記事は こちら ★
釧網本線 しれとこ摩周号の指定席に乗車
2026年8月10日の8時半、釧路駅にやって来ました。この日の目的地は旭川駅。北海道&東日本パスを利用し、1日かけて普通列車で移動します。

釧路駅から乗車するのは、釧網本線の臨時列車・しれとこ摩周号「網走行」。しれとこ摩周号という列車名が付いていますが、北海道&東日本パスでも乗ることが出来る普通列車です。

2両編成のうち、2号車のボックス席が指定席となっています。網走駅に到着するのは11時59分。所要時間が約3時間と長いので、事前に指定席券(840円)を購入していました。

どうやらこの列車の指定席には実証実験的な意味合いがあるようで、車内ではアンケートが配布されました。

釧路駅から5分で東釧路駅に到着。1928年に信号場から昇格した駅で、この駅が釧網本線の起点です。東釧路駅を出ると、線路は左へ大きくカーブ。花咲線(根室本線)と分かれて、進路を北へと変えます。

8時59分、次の駅は「遠矢」。1927年、釧網本線の釧路駅ー標茶駅間の開業と同時に誕生した駅です。地名の由来は「沼の岸」を意味するアイヌ語の「トー・ヤ」。遠矢の集落は釧路湿原の南東端に張り出した低地にあり、ここで言う「沼」は、かつての釧路湿原を構成していた水域の一部にあたるのでしょう。

遠矢駅を過ぎると、列車は左手に釧路川を見ながら、釧路湿原の縁をなぞるように走ります。

釧網本線は、沿線に釧路湿原国立公園・阿寒摩周国立公園・知床国立公園という3つの国立公園を擁する路線。約166kmの線路が、北海道東部を代表する大自然を一直線につないでいます。

しれとこ摩周号は、釧路湿原駅と細岡駅に停車し、次の駅は塘路駅(標茶町)。遠矢駅と同様に1927年、釧網本線の釧路駅ー標茶駅間の開業と同時に誕生した駅です。ここから歩いて15分で、釧路湿原国立公園区域にある塘路湖へ行くことが出来ます。

列車から釧路湿原の景色が見られるのはこの辺りまで。釧網本線と沿線の観光を上手に組み合わせれば、レンタカーが無くても、1日で3つの国立公園を周遊することも可能です。
■参考:おすすめの国立公園


これほど多くの国立公園と関わりを持つ鉄道は全国的にも珍しく、2016年には地元有志による「釧網本線を世界遺産に」という運動もあったようです。

続いては茅沼駅(標茶町)。1927年に開業した駅で、日本で唯一、冬になるとタンチョウがやってくる駅として知られています。

そして釧路駅を出発してから約1時間、9時48分に標茶駅へ到着しました。標茶駅も釧網本線の開通と同じ1927年に誕生した駅で、1日平均の乗車人員(2018〜2022年度の5年平均)は99.4人。これは釧網本線の途中駅としては最多の数字で、駅周辺には町が広がっています。
道東を走る観光路線の歴史
これだけの観光資源に恵まれながらも、2024年度の時点で釧網本線の輸送密度がわずか1日378人。線区全体で年間約19.2億円もの営業赤字を抱える厳しい経営状況です。

2016年にJR北海道が発表した「当社単独では維持することが困難な線区」のひとつにも位置づけられていました。しかし、JR北海道の資料を見ると、輸送密度の落ち込みは今に始まったことではなく、1975年の時点ですでにバス転換基準を大幅に下回っています。

そもそもなぜ釧網本線は建設されたのでしょうか。釧網本線の母体となったのは、1887年に標茶ー跡佐登(現在の川湯温泉駅付近)間に敷設された「釧路鉄道」です。

アトサヌプリ(硫黄山)で採掘した硫黄鉱石を、標茶に置かれた精錬工場まで運ぶために建設された硫黄輸送線で、標茶から先は釧路川の舟運が引き継ぐ形で釧路港へと運ばれていました。1891年に釧路港が特別輸出港に指定されると、硫黄は海外にも輸出されたそうです。
■参考:硫黄山を観光


1896年、アトサヌプリの硫黄採掘が中止されると、釧路鉄道もこれに伴って運転を休止。翌1897年には路線も廃止されています。一方、同じ1896年に公布された「北海道鉄道敷設法」では、第二条の予定鉄道線路の一つとして「旭川―十勝太―厚岸―網走」が掲げられており、このうち道東部分のルートと釧路鉄道の路線とが重なっていたのです。

そこで1897年、政府は釧路鉄道の路線および機関車などの付属物品を約20万円で買収。線路そのものはいったん廃止されたものの、機関車などの設備は北海道官設鉄道に引き継がれました。

政府はこの路線をオホーツク海沿岸への鉄道として計画していましたが、根釧原野の開拓が思うように進まず、鉄道建設は大きく停滞します。

1911年には釧路の有志から釧網線敷設の請願が帝国議会に提出され、厚岸地域からも根室ー網走間を結ぶ「根網線」の計画・請願が出されました。いずれも、釧路・厚岸・根室それぞれの港湾を発展させ、その後背地と港を鉄道が結ぶことを期待していたそうです。

その後、1917年に公布された法律により「網走ー斜里」など5路線が新たに「北海道拓殖改定計画」の一項目として採択され、1924年までの竣工が決定されます。さらに斜里を拠点とする林業企業などによる誘致運動の末、「網走ー斜里」路線が釧網線へと組み入れられ、斜里経由のルートに変更されました。

これと同時に、厚岸を凌ぐ勢いで発展していた釧路の存在を踏まえ、釧網線の起点も釧路に改められます。こうして1919年の北海道鉄道敷設法改正により、当初の「厚岸ー網走」というルートは「釧路ー斜里ー網走」へと正式に書き換えられたのです。

工事は網走側と釧路側の双方から進められ、釧路駅ー標茶駅間は1927年に開通。標茶駅から弟子屈駅(現:摩周駅)までは1929年に伸び、このうち約16kmはかつての釧路鉄道の路盤が再利用されています。そして1931年、最後まで残っていた川湯駅(現:川湯温泉駅)ー札鶴(現:札弦駅)の峠越え区間が開通し、釧網線はついに全通しました。
■参考:1
■参考:2
■参考:3
釧路駅から網走駅へ
釧網本線は、1896年の北海道鉄道敷設法に基づく国家的な鉄道計画と、沿線の農林産物や木材を釧路港へ運びたいという地元自治体の請願によって建設された路線と言えるでしょう。

11時14分、知床国立公園への玄関口・知床斜里駅に到着。1925年に斜里駅として開業した駅です。この駅から知床観光の拠点であるウトロ方面に向かう路線バスや、知床半島を周遊する観光バスも出ています。

知床斜里駅を出ると、進行方向右手の車窓に見えてくるのはオホーツク海。列車の車窓からオホーツク海が見られるのは日本でこの区間だけです。

後方には知床連山も見えています。冬の時期、タイミング合えば流氷も見られるそうです。

現在の釧網本線は、元々の建設動機にあった資源輸送という機能はほぼ失われ、地域住民の利用も少なく、当初想定されていなかった観光路線としてかろうじて生き残っている状態と言えるでしょう。

網走駅ー斜里駅間は、大部分が単調な砂丘地帯で漁港に適した地形がなく、内陸側も浅い湖沼群と湿地帯が広がり、農漁業に向く土地ではありません。そのため、鉄道開通後に集落の発達がみられなかったそうです。
■参考:北海道に鉄道が敷設された理由


こちらが浅い湖沼のひとつ濤沸湖。砂洲の発達でつくられた細長い砂丘によって海と遮断され、湖の北西端でわずかに海と繋がっている汽水湖です。
地図で見るとこんな感じ。よく見ると確かに細い水路で海と繋がっています。そして、釧網本線の浜小清水駅ー北浜駅間(約8km)は、まさに濤沸湖とオホーツク海を隔てる砂州の上を走っているのです。

その砂州の上にあるのが小清水原生花園。網走国定公園にも指定されている天然の花畑で、4月末から9月いっぱいにかけて、200種類の植物を見ることができると紹介されています。隣接する原生花園駅は花のシーズンだけ営業する臨時駅です。

次の北浜駅から、釧網本線は網走市へと入ります。北浜駅の開業は1924年と、現在の釧網本線では最も早い時期に誕生した駅のひとつ。駅舎にも趣があります。

駅から海岸線までの距離はわずか20mで、「日本で一番オホーツク海に近い駅」として有名です。最近まで駅に併設する小さな展望台もありましたが、老朽化により現在は撤去されています。

次は藻琴駅。1924年に網走駅ー北浜駅間の開業と同時に誕生した駅です。

鱒浦駅も1924年に網走駅ー北浜駅間の開業と同時に誕生した駅。

そして網走駅のひとつ手前の桂台駅に到着。この駅の開業は1967年。駅周辺には網走市街地が広がります。

11時59分、釧路湿原区間で何度か鹿出現による減速運転がありましたが、しれとこ摩周号は定刻で網走駅に到着。夏の観光シーズンということもあり、車内は終始混雑していたので、指定席を予約しておいてよかったです。
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今回はここまで。本日もありがとうございました。
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