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今回は「2026年 日帰り 渡嘉敷島旅行記」をお届けします。
フェリーとかしきで渡嘉敷島へ
2026年1月4日の9時20分、那覇市・泊港にやって来ました。この日の目的地は慶良間諸島のひとつ「渡嘉敷島」。日帰りの島旅です。

まずは10時出港のフェリーとかしきに乗船。高速船は別の場所から出ているので注意が必要です。

乗船券は2か月前からインターネットで予約することもできます。料金は往復で3,210円で、支払いにはクレジットカードや電子マネーを利用可能です。なお、乗船券購入時、自動的に「渡嘉敷村環境協力税」として100円も徴収されます。

乗船しました。雑魚寝スタイルの部屋。

座席もあります。料金は同じで、上位等級の船室はなく全席自由席。出港1時間前から乗船することができるので、いい席・場所を取りたい場合は早めの乗船がおすすめです。

渡嘉敷島までの所要時間は約70分。ホエールウォッチングのシーズンなので、デッキでクジラを探しながら過ごします。

出港して間もなく見えてきたのが「那覇地区漁協鮮魚卸売市場」。沖縄県は全国屈指のマグロの産地。県内のマグロ漁獲量のおよそ半分は、この那覇市(泊漁港)が占めているのだそう。コロナ前には、市場の見学もできたようです。

同時刻に泊港を出港した「フェリーざまみ」とは、ここでお別れ。慶良間諸島は、大小30あまりの島々と数多くの岩礁からなる島しょ群で、行政上は2つの村に分かれています。私が乗るこの船が渡嘉敷村の渡嘉敷島へ向かうのに対し、フェリーざまみが目指すのは、座間味村の座間味島と阿嘉島です。
■参考:阿嘉島(座間味村)旅行記


那覇を出港してからおよそ50分、渡嘉敷島が見えてきました。島の最高地点は標高227mの赤間山。渡嘉敷島は以前にも訪れたことがありますが、全体的に山がちで、アップダウンが激しい印象です。
■参考:2016年 慶良間諸島旅行記

日帰り 歩いて島を観光
フェリーとかしきからクジラの姿を見ることは出来ず、11時10分、渡嘉敷島に上陸しました。

那覇市の西方32kmの東シナ海に位置する渡嘉敷村。主島である渡嘉敷島の他に、前島・神山島・ナガンヌ島・黒島・儀志布島など、大小十余の無人島で構成されています。
■参考:ナガンヌ島旅行記

滞在時間は帰りのフェリーが出港するまでの約4時間30分。港からは渡嘉敷島で最も有名なビーチ「阿波連ビーチ」を目指して歩きます。距離は約5km。GoogleMapの計算上は、およそ1時間10分ほどかかるようです。

船の到着に合わせて、阿波連ビーチ行きのバスも出ています。ただ、この日は混雑していて、積み残しが発生していました。そうした場合も、車なら10分ほどの距離なので、ピストン輸送してくれるようです。

港周辺の集落は、また後でゆっくり散策するとして、まずは目の前に立ちはだかる標高200m級の山越えていきます。

こちらは道沿いにあった「ウニギラマ伝説」を紹介する案内板と「うふなー橋」のレプリカ。ウニギラマとは、かつて琉球王府に仕えたとされる人物。飢えに苦しむ村人を救うなど、島の人々のためにさまざまな働きをしたと伝えられています。

うふなー橋は、かつて渡嘉敷集落から阿波連集落へ向かう途中の水田地帯に架かっていた橋で、ウニギラマがより頑丈に架け直したそうです。渡嘉敷島は山深く渓谷も多いため、水に恵まれ、古くから稲作が営まれてきました。国土地理院の地図を見ると、今でも田んぼの地図記号が記されています。

パイナップル畑もありました。渡嘉敷は昔から半農半漁の村。とりわけ明治から昭和の中頃にかけては鰹漁が盛んで(創業開始は1903年)、加工したなまり節や鰹節は、沖縄本島でも評判を呼び、高値で取り引きされたそうです。
■参考:1

しかし、2020年の国勢調査を見ると、今では農業や漁業に従事する人はごくわずか。かわって宿泊業や飲食サービス業の従事者が35%を超えており、渡嘉敷島がすっかり観光の島へと姿を変えたことがうかがえます。

上り坂が続きます。慶良間諸島はもともと、沖縄本島北部・やんばると連なる、ひとつの山脈の一部でした。それゆえ、地質もやんばるとよく似ているそう。その後、地殻変動によって陸地が海に沈み、海面に残った高い部分が、点々と浮かぶ慶良間の島々と言われています。
■参考:2

山が沈んでできた地形ゆえに、海岸線は複雑に入り組み、切り立った海食崖や、湾がいくつも入り込んだリアス海岸を描いています。海に浮かぶ無数の島々がつくる「多島海」の美しい眺めも、こうした成り立ちの賜物なのです。

こちらは道沿いにあった「慶良間海峡展望所」。ここからは、阿波連ビーチと並んで人気のトカシクビーチが一望できます。対岸に見えているのは座間味島とその周辺の島々です。

一方、この湾になっている場所が阿波連ビーチ。ここからは、山の上から海抜0mまで、一気に下りていきます。
阿波連ビーチと沖縄戦の歴史
12時40分、港から1時間半歩いて、阿波連ビーチに到着しました。

慶良間諸島周辺の海域は世界屈指の透明度を誇り、確認されている造礁サンゴは248種。日本で確認されているサンゴの6割以上の種類が、この海に生息しているそうです。また、ここで育ったサンゴは、沖縄本島西海岸の海へと幼生を送り出す供給源にもなっているのだそう。

その価値が認められ、2005年にはラムサール条約にも登録されています。2014年の国立公園指定に伴って、登録面積は8,290ヘクタールへと大幅に拡張され、これは当時、琵琶湖、尾瀬に次ぐ国内3番目の広さでした。

真っ白な砂浜が、800mにわたって続いています。ただ、この日の渡嘉敷島の最高気温は18.6℃。さすがにこの時期、泳いでいる人の姿は少ないです。また、海も「沖縄の水色の海」という感じではありません。夏に訪れれば、また違った輝きを見せてくれるのでしょう。

そして、美しいこの阿波連の海は、渡嘉敷島の歴史を語る上で欠かすことのできない、沖縄戦が始まった地でもあります。
■参考:沖縄戦とはなにか


1945年3月23日に始まった激しい艦砲射撃の後、米軍は26日に座間味の島々へ、そして27日には、渡嘉敷島の阿波連と渡嘉志久の海岸に上陸したのです。

渡嘉敷島にいた日本軍と住民は山中へ逃げ込みますが、追い詰められた末、翌28日に島北端の北山(ニシヤマ)で、300人を超える住民が集団で命を絶ちました。「集団自決」、あるいは「強制集団死」と呼ばれる、沖縄戦のなかでもとりわけ痛ましい出来事です。
■参考:3

沖縄県全体の慰霊の日は6月23日ですが、渡嘉敷島では、この3月28日に犠牲者を悼む慰霊祭が営まれています。
■参考:沖縄の「慰霊の日」について


そんな島も、今では沖縄有数の観光地です。2024年度には14万人もの観光客が訪れ、その数は離島のなかでも石垣島・宮古島・竹富島・西表島に次ぐ多さ。「世界が恋する海」というキャッチコピーのとおり、この日も外国人観光客の姿が数多く見られました。

阿波連ビーチに隣接するキャンプ場「渡嘉敷村青少年旅行村」では、キャンプ場利用者以外でも、お手洗いやシャワー、有料ロッカーを利用することが出来て、両替にも対応してくれるようです。

各種海水浴グッズのレンタルだけでなく、対岸に浮かぶ無人島・ハナリ島(シブがき島)への送迎を行っている事業者もありました。

こちらはTHE・観光客向けの飲食店。

2020年の国勢調査によると、阿波連集落には238人が暮らしており、飲食店や居酒屋、民宿も数軒あります。こちらは集落にある唯一の商店「新垣商店」。島の商店ながらも品揃えは豊富で、Googleの口コミでの評価も高いです。

阿波連小学校には17名が通っています(2025年度)。時刻は14時になりました。帰りは船の時間があるので、バスに乗れないのはまずいです。

バスの出発は14時30分ですが、早めにバス停に行くと、すでにバスは扉が開いており、乗車することができました。料金は400円で、PayPayでの支払いも可能です。

そして、14時10分頃には出発。恐らく混雑することを見越して早めに出発し、14時30分までに阿波連ビーチへ戻れるように、港で折り返すのでしょう。
港周辺を散策
14時半前、フェリーとかしきが停泊する港に戻って来ました。船の出港まで1時間あるので、最後は港周辺の集落を散策します。

こちらは、「トゥンチグヮー」、あるいは「渡嘉敷神社」とも呼ばれる拝所。島の歴代の祝女(ノロ=琉球信仰における女性の祭司)を祀る島の聖地です。入口に立つ鳥居は、1937年に南方の漁業へ出稼ぎに行った島の人々が、寄進して建てたものだそう。
■参考:4

吊るされた提灯がオリオンビールなのは、いかにも沖縄らしいところ。一方で、座間味島と同じく、この島も、赤瓦の古民家が軒を連ねるような町並みではありません。その背景にあるのも、沖縄戦の歴史です。
■参考:古民家が残る集落・竹富島旅行記


米軍による空襲や地上戦で、渡嘉敷集落の景観は失われ、渡嘉敷集落内にあるほぼ全ての建物は戦後に建造されたものとされています。
■参考:5

こちらが渡嘉敷村役場。渡嘉敷村には複数の島々が属していますが、人が定住しているのは渡嘉敷島のみ。周囲25kmの島に、おそよ700人が暮らしています。

村の人口は、減少傾向にあるとはいえ、近年はほぼ横ばい。年少人口・生産年齢人口・老年人口の比率も変わらずに推移しています。ちなみに、前島には1962年までは人が住んでいたそうです。

渡嘉敷小学校の創立1885年。140年以上の歴史ある学校で、現在は中学校と幼稚園も併設されています。学校のホームページにある「在籍数の推移」を見ると、昭和の末期から現在まで、小中学校の生徒数は33名~75名で前後している点も興味深いです。

学校の前にあるのは、島(村)で唯一の信号機。観光客の多い島だけあって、港の周辺にはレンタカーや電動自転車、原付のレンタルも揃っています。交通マナーには注意です。

ブロック塀には「渡嘉敷村立保育所」と書かれていますが、それらしい雰囲気はありません。恐らくこちらは古い建物で、現在は別の場所に保育所があり、0歳から幼稚園入園前までの子が入ることができます。

公園整備予定地もありました。これも子どもの数が多いがゆえのことでしょう。

診療所もあります。全科診療可能ですが、設備は単純X線装置・心電計・腹部エコーのみ。島暮らしは健康が大前提です。

JAショップとかしきは島で唯一のスーパーマーケット。

港には漁協の直売所もありますが、営業しておらず。

阿波連集落に「新垣商店」というコンビニ的なお店があったように、渡嘉敷集落にも「生活コンビニ 新浜屋」という同じような商店がありました。お土産も販売されています。

こちらは島で唯一の郵便局。

渡嘉敷村立歴史民俗資料館では、渡嘉敷島の自然・歴史・暮らしを一通り知ることができます。観光案内休憩所の2階にあり、1階はお土産店。ただ、入館料200円がかかることもあり、今回はスルー見学せず。

これにて渡嘉敷島の観光は終了。予定通り15時半のフェリーに乗船し、那覇へと戻りました。
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今回はここまで。本日もありがとうございました。
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この日の目的地は慶良間諸島のひとつ「渡嘉敷島」。日帰りの島旅です。滞在時間は帰りのフェリーが出港するまでの約4時間30分。港からは渡嘉敷島で最も有名なビーチ「阿波連ビーチ」を目指して歩きます。美しい阿波連の海は、渡嘉敷島の歴史を語る上で欠かすことのできない、沖縄戦が始まった地でもあります


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